・・・ とにかく、多少の価うちがありそうな物はすべて一包みにして、僕はやとい車に乗った。質屋をさして車を駆けらしたのである。 友人にでも出会ったら大変と、親しみのある東京の往来を、疎く、気恥かしいように進みながら、僕は十数年来つれ添って来・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・媒合わされた娘は先代の笑名と神楽坂路考のおらいとの間に生れた総領のおくみであって、二番目の娘は分家させて質屋を営ませ、その養子婿に淡島屋嘉兵衛と名乗らした。本家は風流に隠れてしまったが、分家は今でも馬喰町に繁昌している。地震の火事で丸焼けと・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ そのとき、ちょうど都から、この村にきている質屋の主人が、「そんなら、私どものところへ連れてゆきますが、奉公によこしてくださらんか。」といいました。龍雄の両親は、幸いと思って、その主人に龍雄を頼んで、都へやることにしたのでありま・・・ 小川未明 「海へ」
・・・ 第一質屋がそれであります。合法的に店を張っているには相違ないけれど、苦しい中から、利子を収めて、さらに品物を受出すということが、すでにそうした境遇に於かれている者には、殆んど不可能のことでした。不意に、沢山の金がはいるようなことでもな・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・これだけは手離すまいと思っていた一代のかたみの着物を質に入れて来たのだ。質屋の暖簾をくぐって出た時は、もう寺田は一代の想いを殺してしまった気持だった。そして、今日この金をスッてしまえば、自分もまた一代の想いと一緒に死ぬほかはないと、しょんぼ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・そしてちょっと考えて、神楽坂の方へとぼとぼ……、その坂下のごみごみした小路のなかに学生相手の小質屋があり、今はそこを唯一のたのみとしているわけだが、しかし質種はない。いろいろ考えた末、ポケットにさしてある万年筆に思い当り、そや、これで十円借・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・伏見の駕籠かきは褌一筋で銭一貫質屋から借りられるくらい土地では勢力のある雲助だった。 しかし、女中に用事一つ言いつけるにも、まずかんにんどっせと謝るように言ってからという登勢の腰の低さには、どんなあらくれも暖簾に腕押しであった。もっとも・・・ 織田作之助 「螢」
・・・商売道具の衣裳も、よほどせっぱ詰れば染替えをするくらいで、あとは季節季節の変り目ごとに質屋での出し入れで何とかやりくりし、呉服屋に物言うのもはばかるほどであったお蔭で、半年経たぬうちにやっと元の額になったのを機会に、いつまでも二階借りしてい・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・瞬間雪の上を光が走って、消えた。質屋はまだあいているだろうか。坂田は道を急いだ。やっと電車の終点まで来た。車掌らしい人が二三人焚火をしているのが、黒く蠢いて見えた。その方をちらりと見て、坂田は足跡もないひっそりした細い雪の道を折れて行った。・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 自分の寝静まるのを待って、お政はひそかに箪笥からこの帯を引出し、明朝早くこれを質屋に持込んで母への金を作る積と思い当った時、自分は我知らず涙が頬を流れるのを拭き得なかった。 自分はそのまま帯を風呂敷に包んで元の所に置き、寝間に還っ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫