・・・遠からぬ安藤坂上の質屋へ五人連の強盗が這入って、十六になる娘を殺して行った。伝通院地内の末寺へ盗棒が放火をした。水戸様時分に繁昌した富坂上の何とか云う料理屋が、いよいよ身代限りをした。こんな事をば、出入の按摩の久斎だの、魚屋の吉だの、鳶の清・・・ 永井荷風 「狐」
・・・「手伝いたまえ。ばかに重い。」「何だ。」「質屋だ。盗み出した。」「そうか。えらい。」とわたしは手を拍った。唖々子は高等学校に入ってから夙くも強酒を誇っていたが、しかしわたしともう一人島田という旧友との勧める悪事にはなかなか加・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・あの相模屋という大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家の長屋で、あの時分に玄関を作れるのは名主にだけは許されていたから、名主一名お玄関様という奇抜な尊称を父親はちょうだいしてさかんにいばっていたんだろう。 家は明治十四五年ごろまであった・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 暗い丈夫そうな門に「質屋」と書いてある。これは昔からいやな感じがする処だ。 竹垣の内に若木の梅があってそれに豆のような実が沢山なって居るのが車の上から見える。それが嬉しくてたまらぬ。 狸横町の海棠は最う大抵散って居た。色の褪せ・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・買ひに所化二人床涼み笠著連歌の戻りかな秋立つや白湯香しき施薬院秋立つや何に驚く陰陽師甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋いでさらば投壺参らせん菊の花易水に根深流るゝ寒さかな飛騨山の質屋鎖しぬ夜半の冬乾鮭や帯刀殿の台所・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 東京の様な質屋めいた家もないではないけれども、栄蔵の元の位置を考えれば、まさかそんな事も出来ないし、今急に、少しでも田地を手ばなす気にもなれなかった。「ほんにどうかならんかな。 お節は意地のやけた様に、玉のないそれでも・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・カールは赤いインクで刷られた『新ライン新聞』の最終版にケルンの労働者への訣別の辞をのせ、イエニーはもちものを質屋に入れ、夫妻はケルンを発った。 まずカールが、次いでイエニーと二人の子供とがパリに赴いたが、フランス政府はマルクス一家を気候・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ 空巣の加担をし※品を質屋へ持って行って入れられている五十婆さんが舌うちした。「あたし、世の中にこういうとこの人たちぐらいいやな男ってないわ」 横坐りをしている若い女給が伊達巻をしめ直しながら溜息をついた。「刑事なんぞここじ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・そのひとは、母に向って、おばさん、僕は五つから質屋通いをやらされたんだよ、察しておくれ、といって泣いた。 祖母は、その孫より先に八十九歳の生涯を終ったが、生きているうちから、私はお祖父様には面目なくてと云っていたが、遺骨は祖父の墓へは入・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 家主だと云う質屋を、角の交番の巡査に訊いてAが入って行く。 自分は、程近い停留場に待って居た。場所をきき合わせる位と思ったのに、なかなか出て来ない。歩道に面した店の小僧など、子守などは、不思議そうにじろじろ自分を見る。 待ち、・・・ 宮本百合子 「又、家」
出典:青空文庫