・・・と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄み落した。実は雲霧の立ち昇る中に遥か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論峯々の間に白い水煙をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。 この赤児を孕んだ実は深い山の奥を離れた後、どういう人の手に・・・ 芥川竜之介 「桃太郎」
・・・大きなのやら小さなのやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク壺のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数をつくしたような石が、雑然と狭い渓谷の急な斜面に充たされている。・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・この若々しい、少しおめでたそうに見える、赤み掛かった顔に、フレンチの目は燃えるような、こらえられない好奇心で縛り附けられている。フレンチのためには、それを見ているのが、せつない程不愉快である。それなのに、一秒時間も目を離すことが出来ない。こ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 友人は手をちゃぶ台の隅にかけながら、顔は大分赤みの帯び来たのが、そばに立ってるランプの光に見えた。「岩田君、君、今、盲進は戦争の食い物やて云うたけど、もう一歩進めて云うたら、死が戦争の喰い物や。人間は死ぬ時にならんと真面目になれん・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・湯あがりの化粧をした顔には、ほんのりと赤みを帯びて、見ちがえるほど美しかった。 ほかにも芸者のはいりに来ているのは多いが、いつも目に立つのはこの女がこの男と相対してふざけたり、笑ったりしていたことである。はじめはこの男をひいきのお客ぐら・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・そして色の対照の効果で顔の色の赤みが強められるのであった。しかしまた同時に着物がやはり赤っぽく見えだして気に入らなくなったが、もうそれを直すだけの根気がなくなってそのままにしてしまった。 すぐに第四号の自画像を同大の画布にやり始める事に・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・港の片側には赤みを帯びた岩層のありあり見える絶壁がそばだっている。トルコの国旗を立てたランチが来て検疫が始まった。 土人の売りに来たものは絵はがき、首飾り、エジプト模様の織物、ジェルサレムの花を押したアルバム、橄欖樹で作った紙切りナイフ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・今まで灰色や土色をしていたあらゆる落葉樹のこずえにはいつとなしにぽうっと赤みがさして来た。鼻のさきの例の楓の小枝の先端も一つ一つふくらみを帯びて来て、それがちょうどガーネットのような光沢をして輝き始めた。私はそれがやがて若葉になる時の事を考・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・このチンノレイヤという花は紫のようで少し赤みがあって、光沢があって、どうしてもその色をまねることが出来なかった。この一枚もかくの如くしてまた書き塞げてしもうたので、例の通り賛を加えた。その歌は、おだまきの花には桐ノ舎ガ妻ヲ迎ヘシ三年前カ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・先月二十七日に来た時、東公園と呼ばれる一帯の丘陵はまだ薄すり赤みを帯びた一面の茶色で、枯木まじりに一本、コブシが咲いていた。その白い花の色が遠目に立った。やがて桜が咲いて散り、石崖の横に立つ何だかわからない二丈ばかりの木が、白い蕾を膨らませ・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
出典:青空文庫