・・・父新助の代となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れたあとをうけ、慶応三年六月十七日、第九番目の末子として、彼川那子丹造が生れた頃は、赤貧洗うが如きであった。 新助は仲仕・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」と低く独りごとのように呟いて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・いかに我等国民学校教員が常に赤貧洗うが如しと雖も、だ、あに必ずしも有力者どもの残肴余滴にあずからんや、だ。ねえ、菊代さん、そうじゃありませんか。菊代さん! おや、いないのか。 妹は、まだ帰って来ないんです。また、れいの文化会でしょう。・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋の中に住んで世と容れず。古書堆裏独破几に凭りて古を稽え道を楽む。詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中の不平は他に漏らすの方なく、凝りて三十一字となりて現れしものなるべく、その歌が塵気・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・王龍とその妻阿蘭とが赤貧な農民としてあらあらしい自然と闘い、かつ社会の推移につれて偶然と努力との結果、次第に地方地主となりさらに押しすすむ時代の波にうたれて一族のある者は封建的な軍閥将軍に、ある者は近代中国資本主義の立役者になり、その孫のあ・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
・・・長者は北の方とただ二人で赤貧の暮らしを始める。ある朝女房は、玉王を背負うて磯の若布を拾いに出たが、赤児を岩の上にでも落としてはという心配から、砂の上に玉王をおろして、ひとりで若布拾いにかかった。そのすきに鷲が舞いおりて、玉王をさらって飛び去・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫