・・・たお米、素足のままで、細帯ばかり、空色の袷に襟のかかった寝衣の形で、寝床を脱出した窶れた姿、追かけられて逃げる風で、あわただしく越そうとする敷居に爪先を取られて、うつむけさまに倒れかかって、横に流れて蹌踉く処を、「あッ、」といって、手を・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・と敷居を跨いで、蹌踉状に振向いて、「あの、そのお釵に……」――「え。」と紫玉が鸚鵡を視る時、「歯くさが着いてはおりませぬか。恐縮や。……えひひ。」とニヤリとして、「ちゃっとお拭きなされませい。」これがために、紫玉は手を掛けた懐紙を、余儀・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 時に大浪が、一あて推寄せたのに足を打たれて、気も上ずって蹌踉けかかった。手が、砂地に引上げてある難破船の、纔かにその形を留めて居る、三十石積と見覚えのある、その舷にかかって、五寸釘をヒヤヒヤと掴んで、また身震をした。下駄はさっきから砂・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 半蔵門の方より来たりて、いまや堀端に曲がらんとするとき、一個の年紀少き美人はその同伴なる老人の蹣跚たる酔歩に向かいて注意せり。渠は編み物の手袋を嵌めたる左の手にぶら提灯を携えたり。片手は老人を導きつつ。 伯父さんと謂われたる老人は・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・助けてくれと云うのであろう、哀れさも、不便さもかばかりなるは、と駈け着ける中、操の糸に掛けられたよう、お雪は、左へ右へ蹌踉して、しなやかな姿を揉み、しばらく争っているようでありました。けれども、また、颯と駈け出して、あわやという中に影も形も・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・日暮れて、男は蹌踉、たばこ屋の店さきに立った。「すみません」と小声で言って、ぴょこんと頭をさげた。真実わるい、と思っていた。娘は、笑っていた。「こんどこそ、飲まないからね」「なにさ」娘は、無心に笑っていた。「かんにんして、ね・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・妨げ、かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰っては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉と乗り込むのでした。この愚僧は、たい・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・か現象とかのこむずかしい言葉を言い出し、若い作家の読書力減退についてのお説教がはじまり、これは、まさしく久保田万太郎なのかもしれないなどと思ったら酔いも一時にさめはて、どうにも、つまらなくなって来て、蹌踉と立ちあがり、先生、それではごめん下・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・なお、寸志おしるしだけにても、御送り申そうかと考えましたが、これ又、かえって失礼に当りはせぬか、心にかかり、いまは、訥吃、蹌踉、七重の膝を八重に折り曲げての平あやまり、他日、つぐない、内心、固く期して居ります。俗への憤怒。貴方への申しわけな・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そのまま美濃は、店先から離れて、蹌踉と巷へひきかえした。ぞろぞろ人がとおっていた。 息せき切って、てるが追いかけて来た。美濃のからだに、右から左からまつわりつくようにして歩きながら、「え? なぜ、来たの? あたしは、手癖がわるいのよ・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫