・・・むこうずねもまた相当に痛いことを知ったが、これは足で蹴るのに都合のよいところであって、次郎兵衛は喧嘩に足を使うことは卑怯でもありうしろめたくもあると思い、もっぱら眉間と水落ちを覘うことにきめたのである。枯れた根株の、眉間と水落ちに相当する高・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・そら来たと心臓が飛び上って肋の四枚目を蹴る。何か云うようだが叩く音と共に耳を襲うので、よく聞き取れぬ。「婆さん、何か来たぜ」と云う声の下から「旦那様、何か参りました」と答える。余と婆さんは同時に表口へ出て雨戸を開ける。――巡査が赤い火を持っ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・前に当るものは親でも許さぬ、石蹴る蹄には火花が鳴る。行手を遮るものは主でも斃せ、闇吹き散らす鼻嵐を見よ。物凄き音の、物凄き人と馬の影を包んで、あっと見る睫の合わぬ間に過ぎ去るばかりじゃ。人か馬か形か影かと惑うな、只呪いその物の吼り狂うて行か・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・長く白い足で、太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆け出した。誰かが篝りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・叫び声、殴る響、蹴る音が、仄暗いプラットフォームの上に拡げられた。 彼は、懐の匕首から未だ手を離さなかった。そして、両方の巡査に注意しながらも、フォームを見た。 改札口でなしに、小荷物口の方に向って、三四十人の人の群が、口々に喚き、・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ どこから持って来たの」「抜いて来たのさ」「――嘘いってら! 蹴るよ」「馬の脚は横へは曲りませんよ。擽ったがってフッフッフッって笑うよ」 ふき子が伸びをするように胸を反して椅子から立ちながら、「みんな紅茶のみたくない?」・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・その女の同志はハッとして何かを口へ入れてしまったと見ると、彼等は一時に折り重り、殴る蹴る。間に、一人がステッキを口へ突込んで吐かせようと、我武者羅にこじ廻したのだそうだ。「今市電が立ちかけてるのよ、残念だわ」 留置場の入口が開く毎に・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・下賤なもののけんかはけんかする同志がつかみ合う、蹴る、なぐる、やがてどちらか一方が鼻血でも出せば事がすみますがのう。 広い領地を持ってござる方々のけんかはそう手軽には参らぬでの。 つかみ合いがしたくなれば兵士を互に出してつかみ合わせ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫