・・・あまり身近かにいると、かえって真価がわからぬものである。気を附けなければならぬ。 日本有数という形容は、そのまま世界有数という実相なのだから、自重しなければならぬ。 太宰治 「世界的」
・・・自分もいままで人並に、生活の苦労はして来たつもりであるが、小さい子供ふたりを連れて、いかに妻の里という身近かな親戚とは言え、ひとの家に寄宿するという事になればまた、これまで経験した事の無かったような、いろいろの特殊な苦労も味った。甲府の妻の・・・ 太宰治 「薄明」
・・・メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 私は眼が覚めて、顔を洗いながら、その妻の匂いを身近に感ずる事が出来る。そうして、夜寝る時には、またその妻に逢える楽しい期待を持っているのである。「しばらく逢わなかったけど、どうしたの?」「桜桃を取りに行っていたの。」「冬で・・・ 太宰治 「フォスフォレッスセンス」
・・・これは結局われわれの身近に起こるいろいろな現象の観測をする場合に最も「手ごろな」単位として選ばれたものであることは疑いもない事実である。いかなるものを「手ごろ」と感ずるかは畢竟人間本位の判断であって、人間が判断しやすい程度の時間間隔だという・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・ぴったりと吸いよせられて、その肩のあたりや横顔をぼんやり浮上らせている列にそって顔から顔へ視線が行くと、これらの心がどんな気持で観ているであろうと、梅雨のいきれがひとしお身近に感じられた。若くて寡婦になったひと、その良人の肖像は幼い娘や息子・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・西欧の芸術家、たとえばトルストイなどは、身近な芸術上の巨人として、文学の芸術性と社会性との問題などでは身を挺して苦悩し、その判断に矛盾をも示した芸術家であったと思う。芥川龍之介の精神は、何故この或る日のトルストイを作品の主人公とはせず馬琴を・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・を土台として、それぞれの項目について私たちの身近にある種々の科学の本を思い出し、いくらかまとめて整理し、感想をもそれにつけ加えてゆくという方法である。つまり私たちが知識を愛し、それを身につけ、自分やひとの生活をゆたかにして何かの意味で人間の・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・これらの人々の生活は、小さい時分からケーテの身近なものであったと同時に、その虚飾のない生活にあらわれる刻々の生活の姿は、ケーテの創作慾が誘われずにはいない力をもっていた。ケーテは後年、次のようにいっている。「港に働く婦人たちは、社交上の因習・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・そして、その自然な経過として、先ず身近な地方自治体への選挙、被選挙権の行使から、彼女たちの政治的発足をしている。イギリスでは一八六九年アメリカも同じ年。オーストラリアは一八九二年婦人の公民権が認められた。第一次欧州大戦の終結した一九一八年、・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
出典:青空文庫