・・・腐れた肺が呼吸に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響であろう――傘の古骨が風に軋むように、啾々と不気味に聞こえる。「しいッ、」「やあ、」 しッ、しッ、しッ。 曳声を揚げて……こっちは陽気だ。手頃な丸太棒を・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・……そして、少しその軋む音は、幽に、キリリ、と一種の微妙なる音楽であった。仲よしの小鳥が嘴を接す時、歯の生際の嬰児が、軽焼をカリリと噛む時、耳を澄すと、ふとこんな音がするかと思う、――話は違うが、として、(色白き児の苺枕の草紙は憎い事を言っ・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・肺の軋む音だと思っていた杳かな犬の遠吠え。――堯には夜番が見える。母の寝姿が見える。もっともっと陰鬱な心の底で彼はまた呟く。「おやすみなさい、お母さん」 三 堯は掃除をすました部屋の窓を明け放ち、籐の寝椅子に休ん・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 軋むような、しかも陶酔して弾かれているような旋律の細かく高いヴァイオリンの音につつみこまれた感じで、夜の一時頃ヴォージラールのホテルへ帰って来た。いつもは十二時過ると扉もおとなしく片開きにしてある入口が、今夜はさあっと開いたままで、煌・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
・・・憤りと憎悪とが凍った雪を踏むようにキシ、キシと音をたてて身内に軋むのを感じる。―― 調べの始ったのは午前十一時前であった。今は夕方の六時だ。自分は憎しみによって一層根気づよくなり腰をおとさず揉み合っている。日本共産党をどう考えるかという・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・春の頃は空の植木鉢だの培養土だのがしかし呑気に雑然ころがっていた古風な大納屋が、今見れば米俵が軋む程積みあげられた貯蔵所になっていて、そこから若い棕梠の葉を折りしいてトロッコのレールが敷かれている。台の下に四輪車のついたものが精米をやってい・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・男手を失った農村の婦人達が、割当だけの供出量を生産して軍需を充たし、なお自分のところへ幾らかの余剰を残すためには、肥料のない、馬のいなくなった、男のなくなった田畑の上で、骨が軋むばかりの辛苦を凌いで働きつづけて来たのであった。婦人達が燃料の・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫