・・・ 軒端にくるすずめまでが、目を円くして、ほめそやしたほどですから、近所の人たちも、「あんな枯れかかった木が、こんなによくなるとは、生きものは、丹誠ひとつですね。」といって、たまげました。 がらくたと並べた店さきに、南天の鉢を出し・・・ 小川未明 「おじいさんが捨てたら」
・・・また雨の降る音を出そうと思えば、ちょうど雨が降りだしてきて軒端を打つような音を吹き鳴らしました。また小鳥のなく音をたてようと思えば、こずえにきて節おもしろそうに鳴く小鳥の音を出すことができたのであります。 光治は学校から家に帰ると、じい・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・その男は汚ない褌など露わして平気でずぶずぶと凹む軒端へつくばっては、新しい茅を差していた。 彼は屋根の棟に腰かけて、ほかほかと暖かい日光を浴びながら、健康に育った子供の時分のことを想いだして、不甲斐なくなった自分の神経をわれと憫笑してい・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・大通いずれもさび、軒端暗く、往来絶え、石多き横町の道は氷れり。城山の麓にて撞く鐘雲に響きて、屋根瓦の苔白きこの町の終より終へともの哀しげなる音の漂う様は魚住まぬ湖水の真中に石一個投げ入れたるごとし。 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・この道幅の狭い軒端のそろわない、しかもせわしそうな巷の光景がこの琵琶僧とこの琵琶の音とに調和しないようでしかもどこかに深い約束があるように感じられた。あの嗚咽する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂うて勇ましげな売り声や、かしましい鉄砧の音と雑ざっ・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ スピリットに憑かれたように、幾千の万燈は軒端を高々と大群衆に揺られて、後から後からと通りに続き、法華経をほめる歓呼の声は天地にとよもして、世にもさかんな光景を呈するのである。フランスのある有名な詩人がこの御会式の大群衆を見て絶賛した。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 油地獄にも、ならずものの与兵衛とかいう若い男が、ふとしたはずみで女を、むごたらしく殺してしまって、その場に茫然立ちつくしていると、季節は、ちょうど五月、まちは端午の節句で、その家の軒端の幟が、ばたばたばたばたと、烈風にはためいている音・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・昨夜、軒端に干して置いたおむつも凍り、庭には霜が降りている。山茶花が凛と咲いている。静かだ。太平洋でいま戦争がはじまっているのに、と不思議な気がした。日本の国の有難さが身にしみた。 井戸端へ出て顔を洗い、それから園子のおむつの洗濯にとり・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・はじめ軒端を伝って、ちょろちょろ、まるで鼠のように、青白い焔が走って、のこぎりの歯の形で、三角の小さい焔が一列に並んでぽっと、ガス燈が灯るように軒端に灯って、それから、ふっと消える。軒端の材木から、熱のためにガスが噴き出て、それに一先ず点火・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ただ何となく軒端に菖蒲を葺いた郷国の古俗を想い浮べて、何かしら東西両洋をつなぐ縁の糸のようなものを想像したのであったが、後にまたウィーンの歳の暮に寺の広場で門松によく似た樅の枝を売る歳の市の光景を見て、同じような空想を逞しゅうしたこともあっ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
出典:青空文庫