・・・革命運動から転落してイタリーへ行ったと思いたがっていた資本主義国の支配者は、ゴーリキイが年ごとにプロレタリアートの政党ボルシェヴィキの政策を理解し「十年」「私の祝辞」において、ますますそれに接近することを見て失望した。一九二六年から着手され・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・今日という時代の歴史性に結びつけられているそれぞれの人の、固有な傾向や発展の特長また転落の道行きを物語るのである。 人それぞれに、自分の恋愛生活、結婚生活に対する何かの不安、疑問、確信の欠如があるから、何かその間に均衡を見つけ出せるよう・・・ 宮本百合子 「もう少しの親切を」
・・・けれども、或る種の人たちのように、はっきり率直にその転落を表明もせず、従ってそれを考え直すという希望のあるモメントさえ自覚されず、しかも、どこか心の奥でそういう結論に立っているのが、或は大きい買物、小さい買物組の、ある共通性だということは無・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・が、男とのいきさつの痴情的な結末は、いわゆる士族という特権的な身分を自負する女性も酌婦に転落しなければならない社会であり、しかもその中で自分の運命を積極的に展開する能力をもたなくて、僅に勝気なお力であるに止り、遂に人の刃に命を落す物語が書か・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫