小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。 トロッコの・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・二 翌朝彼は本線から私線の軽便鉄道に乗替えて、秋田のある鉱山町で商売をしている弟の惣治を訪ねた。そして四五日逗留していた。この弟夫婦の処に、昨年の秋から、彼の総領の七つになるのが引取られているのであった。 惣治はこれまで・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・キンシを三十本ばかりと、清酒を一升、やっと見つけて、私はまた金木行の軽便鉄道に乗った。「や、修治。」と私の幼名を呼ぶ者がある。「や、慶四郎。」と私も答えた。 加藤慶四郎君は白衣である。胸に傷痍軍人の徽章をつけている。もうそれだけ・・・ 太宰治 「雀」
・・・ その後にまた、大湯附近の空気中のイオンを計測するために出張を命ぜられて来たときは人車鉄道が汽車の軽便鉄道に変っていたが、それでもまだやはり朝東京を出て夕方熱海へ着く勘定であったように思う。去年はじめて省線電車で熱海へ行ったときは時間の・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・特にその繁華なU町へは、小さな軽便鉄道が布設されていた。私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした。だが私の実の楽しみは、軽便鉄道に乗ることの途中にあった。その玩具のような可愛い汽車は、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。車室の中は、青い天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向うの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っている・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 軽便鉄道の東からの一番列車が少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車の下からは、力のない湯げが逃げ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突からは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。 そこで軽便鉄道づき・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・ また大淀まで、今度は軽便鉄道で戻るのだが、道々、私共は本当に見渡す限り快闊な日向の風好を愛した。高千穂峯で最初の火を燃したわれ等の祖先が、どんなに晴れやかさの好きな自然人であったか、またこの素朴な大海原と平野に臨んでどんなに男らしく亢・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
出典:青空文庫