・・・「いったい君は、今度の金を返す意志なのか、意志でないのか、はっきりと言ってみたまえ」彼はこういった調子で、追求してくるのだ。「そりゃ返す意志だよ。だから……」「だから……どうしたと言うんかね? 君はその意志を、ちっとも表明するだ・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・めさめし時は秋の日西に傾きて丘の紅葉火のごとくかがやき、松の梢を吹くともなく吹く風の調べは遠き島根に寄せては返す波の音にも似たり。その静けさ。童は再び夢心地せり。童はいつしか雲のことを忘れはてたり。この後、童も憂き事しげき世の人となりつ、さ・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・でもね、日曜は兵が遊びに来るし、それに矢張上に立てば酒位飲まして返すからね自然と私共も忙がしくなる勘定サ。軍人はどうしても景気が可いね」「そうですかね」と自分は気の無い挨拶をしたので、母は愈々気色ばみ。「だってそうじゃないかお前、今・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・たとえば、竜ノ口の法難のとき、四条金吾が頸の座で、師に事あらば、自らも腹切らんとしたことを、肝に銘じて、後年になって追憶して、「返す/\も今に忘れぬ事は、頸切られんとせし時、殿は供して馬の口に付て、泣き悲しみ給ひしは、如何なる世にも忘れ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・さてこの土地の奇麗のと言えば、あるある島田には間があれど小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与式以来の胸躍らせもしも伽羅の香の間から扇を挙げて麾かるることもあらば返すに駒なきわれは何と答えんかと予審廷へ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・と体操の教師は混返すように。「そうはいかない」 大尉は弓返りの音をさせて、神経的に笑って、復た沈鬱な無言に返った。 桑畠に働いていた百姓もそろそろ帰りかける頃まで、高瀬は皆なと一緒に時を送った。学士はそこに好い隠れ家を見つけたと・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ちらちらと腹を返すのがある。水の底には、泥を被った水草の葉が、泥へ彫刻したようになっている。ややあって、ふと、鮒子の一隊が水の色とまぎれたと思うと、底の方を大きな黒いのがうじゃうじゃと通る。「大きなのもいるんですね。あ、あそこに」と指す・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ああ、おめでとう、と私も不自然でなくお祝いの言葉を返す事が出来ました。佐吉さんは、超然として、べつにお祭の晴着を着るわけでなし、ふだん着のままで、店の用事をして居ましたが、やがて、来る若者、来る若者、すべて派手な大浪模様のお揃いの浴衣を着て・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ばかげているようであるが、この音で夢の世界から現実の世界へ観客を呼び返す役目をつとめさせているのである。 公爵のシャトーの中のかび臭い陰気な雰囲気を描くためにいろいろな道具が使われているうちに、姫君の伯母三人のオールドミスが姫君の病気平・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・少し強く出られると返す言葉がなくなって、泣きそうな目をするほど、彼女は気弱であった。いつかの夜道太は辰之助と、三四人女を呼んだあとで、下へおりて辰之助の立てたお茶なぞ飲んでいると、そこへ毎日一回くらいは顔を出してゆく、おひろの旦那の森さんが・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫