・・・その夜はさすがに家をあけなかったが、翌日、蝶子が隠していた貯金帳をすっかりおろして、昨夜の返礼だとて友達を呼び出し、難波新地へはまりこんで、二日、使い果して魂の抜けた男のようにとぼとぼ黒門市場の路地裏長屋へ帰って来た。「帰るとこ、よう忘れん・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ ペンペン草の返礼にあれを喫べさせられては、と土耳舌帽氏も恐れ入った。人々は大笑いに笑い、自分も笑ったが、自分の慙入った感情は、洒々落々たる人々の間の事とて、やがて水と流され風と払われて何の痕も留めなくなった。 その日はなお種々のも・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・あなたはやはり会釈を返したとき、こちらが知っているのに、むこうが知らないことはさびしいと思ったが、あなたに返礼されただけでそれでもいささか満足であった。僕は、今年で大学を終らなければならないけれども、出来るかどうかあやぶまれますけれども、卒・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・君の不当の暴言に対して、僕も返礼しなければならぬ。」なかなか荘重な出来である。それにも拘らず、少年は噴き出した。「なあんだ、僕と遊びたがっていやがる。君も、よっぽどひまなんだね。何か、おごれよ。おなかが、すいた。」 私も危く大笑いす・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ きょうは、あなたのお手紙の長さに感奮し、その返礼の気持もあり、こんな馬鹿正直の無警戒の手紙を差上げる事になりました。 私たちは程度の差はあっても、この戦争に於いて日本に味方をしました。馬鹿な親でも、とにかく血みどろになって喧嘩をし・・・ 太宰治 「返事」
・・・母親は日頃娘がひいきになるその返礼という心持ばかりでなく、むかしからの習慣で、お祭の景気とその喜びとを他所から来る人にも頒ちたいというような下町気質を見せたのであろう。日頃何につけても、時代と人情との変遷について感動しやすいわたくしには、母・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・すると長屋一同から返礼に、大皿に寿司を遣した。唐紙を買って来て寄せ書きをやる。阿久の三味線で何某が落人を語り、阿久は清心を語った。銘々の隠芸も出て十一時まで大騒ぎに騒いだ。時は明治四十三年六月九日。 この時代には電車の中で職人が新聞・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ したがわしは幼いうちから礼儀をきつう育てられたのでの、これに御答え致すためには王に一言申したいのじゃが、口で申さぬかわり、相当な御返礼と思うてこれをさしあげるとな。 又御目にかかる日もそう大して遠くはあるまいと思って居る、 と・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
出典:青空文庫