・・・肉体はややともすると後ろに引き倒されそうになりながら、心は遮二無二前の方に押し進もうとした。 クララは半分気を失いながらもこの恐ろしい魔術のような力に抵抗しようとした。破滅が眼の前に迫った。深淵が脚の下に開けた。そう思って彼女は何とかせ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・そして一方の親が倒された時には、第四階級という他方の親は、血統の正しからぬ子としてその私生児を倒すであろう。その時になって文化ははじめて真に更新されるのだ。両階級の私生児がいちはやく真の第四階級によって倒されるためには、すなわち真の無階級の・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ 私はもう、それまでに、幾度もその渦にくるくると巻かれて、大な水の輪に、孑孑虫が引くりかえるような形で、取っては投げられ、掴んでは倒され、捲き上げては倒されました。 私は――白昼、北海の荒波の上で起る処のこの吹雪の渦を見た事がありま・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・妻は、また、これを全く知らないでいたのは迂濶だと言われるのが嫌さに、まずもって僕の父に内通し、その上、血眼になってかけずりまわっていたかして、電車道を歩いていた時、子を抱いたまま、すんでのことで引き倒されかけた。 その上の男の子が、どこ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ところがこの頃退引ならない事情があって沼南に相談すると、君の事情には同情するが金があればいいがネ、と袂から蟇口を出して逆さに振って見せて、「ない、同情するには同情するが生憎僕にも金がない」という、こういう挨拶だ。貸す気がないなら貸さんでもい・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・相手の木村八段にまるで赤子の手をねじるようにあっけなく攻め倒されてしまったのである。敗将語らずと言うが、その敗将が語ったのがこの語であった。無学文盲で将棋のほかには全くの阿呆かと思われる坂田が、ボソボソと不景気な声で子供の泣き声が好きだとい・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・所どころに嘔吐がはいてあったり、ゴミ箱が倒されていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。 新京極に折れると、たてた戸の間から金盥を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 勝子が男の児に倒された。起きたところをまた倒された。今度はぎゅうぎゅう押えつけられている。 いったい何をしているのだろう。なんだかひどいことをする。そう思って峻は目をとめた。 それが済むと今度は女の子連中が――それは三人だった・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ドル臭しとは黄金の力何事をもなし得るものぞと堅く信じ、みやびたる心は少しもなくて、学者、宗教家、文学者、政治家の類を一笑し倒さんと意気込む人の息気をいう、ドルの文字はまたアメリカ帰りの紳士ちょう意をも含めり。詳しき説明は宇都宮時雄の君に請い・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・僕は気の毒に思った、その柔和な顔つきのまだ生き生きしたところを見て、無残にも四足を縛られたまま松の枝から倒さに下がっているところを見るとかあいそうでならなかった。 たちまち小藪を分けてやッて来たのは猟師である。僕を見て『坊様、今に馬・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
出典:青空文庫