・・・死んだやうになつてゐた数秒、しかし再び意識をとり戻した彼が、勇敢にも駈け出した途端に両手に煉瓦を持つて待ちぶせてゐた一人が、立てつづけに二個の煉瓦を投げつけ、ひるむところをまたもや背後から樫棒で頭部を強打したため、かの警官はつひにのめるやう・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・やらし人やなというKの言葉を平然と聞流しながら、生唾をのみこみのみこみ、ぶぶ漬の運ばれて来るのを待っていると、やがて、お待ちどうさんと前へ据えられた途端、あッ、思わず顔が赧くなって、こともあろうにそれはお櫃ではないか。おまけに文楽の人形芝居・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。 筧は雨がしばらく降らないと水が涸れてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚のことがあった。そして花の盛りが過ぎてゆくのと・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまった。しかしまだ本気にはなっていなかった。起きあがろうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑って行った。今度は片肱をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・ 源三はすたすたと歩いていたが、ちょうどこの時虫が知らせでもしたようにふと振返って見た。途端に罪の無い笑は二人の面に溢れて、そして娘の歩は少し疾くなり、源三の歩は大に遅くなった。で、やがて娘は路――路といっても人の足の踏む分だけを残して・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏って吹込んで来た冷たい風に燈火はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯これ一瞬の事で前後はなかった。 屋外は雨の音、ザアッ。・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 私は、ほっとして、それでは帰ろうかと腰を浮かしかけた途端に、馬小屋のほうで、「馬鹿! 命をそまつにするな!」と、あきらかに署長の声です。続いて、おそろしく大きい物音が。 名誉職は、そこまで語って、それから火鉢の火を火箸でい・・・ 太宰治 「嘘」
・・・ カチリと三つのコップが逢って、それから三人ぐっと一息に飲みほした。途端に、熊本君は、くしゃんと大きいくしゃみを発した。「よし。よろこびのための酒は一杯だけにして止めよう。よろこびを、アルコオルの口実にしてはならぬ。」私は、もっとビ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・を喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下に、独り夕餉の箸を取上げる途端、コーンとはっきり最初の一撞きが耳元・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・わたくしはこんな淋しいところに家を建てても借りる人があるか知らと、何心なく見返る途端、格子戸をあけてショオルを肩に掛けながら外へ出た女があった。女は歩きつかれたわたくしを追越して、早足に歩いて行く。 わたくしは枯蘆の中の水たまりに宵の明・・・ 永井荷風 「元八まん」
出典:青空文庫