・・・ 橙背広のこの紳士は、通り掛りの一杯機嫌の素見客でも何でもない。冷かし数の子の数には漏れず、格子から降るという長い煙草に縁のある、煙草の脂留、新発明螺旋仕懸ニッケル製の、巻莨の吸口を売る、気軽な人物。 自から称して技師と云う。 ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・椿岳は取換え引換え妾を持って、通り掛りに自分の妾よりも美くしい女を見ると直ぐ換えたというほど盛んに取換えて、一生に百六十人以上の妾を持ったというはまた時代の悪瓦斯に毒された畸行の一つであった。だが、この椿岳の女道楽を単なる漁色とするは時代を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・幅広からぬ往還に立ちて、通り掛りの武士に戦を挑む。二人の槍の穂先が撓って馬と馬の鼻頭が合うとき、鞍壺にたまらず落ちたが最後無難にこの関を踰ゆる事は出来ぬ。鎧、甲、馬諸共に召し上げらるる。路を扼する侍は武士の名を藉る山賊の様なものである。期限・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫