・・・ピオニイルは共産青年同盟員によって指導されるのが通例であり、おそらく五十を越しているであろう腕の毛まで白い亀のチャーリーにその任務がはたせられていることはなかろうが、それは一応チャーリーの子供好きの特色、独特性によるものとして、どうも納得で・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・そして、その工合いいという判断はいつもとかく事大主義であるのが通例である。今日ならば、今日華やかに見える事業、地位、或は華やかになりそうと思われる方角へ、その選択をもってゆく。そういう親は、その人々なりの善意からではあっても、やはり娘一人を・・・ 宮本百合子 「これから結婚する人の心持」
・・・何故なら、その頃の士族たちは、自分に息子でもあれば何とか一つ学校でも出して当時流行の官員様に仕上げ、明治の社会に位階勲等の片端でも貰うことに果敢ない幻を描いているのが通例であった。勇造の父親が、息子に学問を許さなかった心持、生意気になると、・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・構成派にあっては感覚はその行文から閃くことが最も少いのを通例とする。ここではパートの崩壊、積重、綜合の排列情調の動揺若くはその突感の差異分裂の顫動度合の対立的要素から感覚が閃き出し、主観は語られずに感覚となって整頓せられ爆発する。時として感・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・大部分は軽薄をいうのが通例である。それを心得ていないで怒るというのは、ばかというほかはない。 大将がばかであるゆえに起こってくる結果は、同じようなばか者を重用するということである。そのばか者がまた同じようなばか者に諸役を言いつける。した・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・そこで子供たちにとっては、松茸を見いだしたということは、科学者がラディウムを見いだしたというほどの大事件であった。通例は松茸以外の茸をしか望むことができなかった。まず芝生めいた気分のところには初茸しかない。が、初茸は芝草のない灌木の下でも見・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
・・・両足は無視されるのが通例であり、両腕も、この人物が何かを持っているとか、あるいは踊っているのだとか、ということを示すためだけに付けられるのであって、肩や腕を写実的に表現しようなどという意図は全然見られない。しかし「意味ある形」、たとえば「甲・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・誰でもがそういう活眼を持つというわけには行かない。通例は何らかの仕方で度の合わせ方を先人から習う。それを自覚的にしたのが様式の理解なのである。 では能面の様式はどこにその特徴を持っているであろうか。自分はそれを自然性の否定に認める。数多・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
・・・女の人形ではその足さえもないのが通例である。首は棒でささえて紐で仰向かせたりうつ向かせたりする。物によると眼や眉を動かす紐もついている。それ以上の運動は皆首の棒を握っている人形使いの手首の働きである。手は二の腕から先で、指が動くようになって・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
・・・それは通例きわめて漠然としたものであるが、それでも直接逢った時に予期との合不合をはっきり感じさせるほどの力強いものである。いわんや顔を知り合っている相手の場合には、顔なしにその人を思い浮かべることは決してできるものでない。絵をながめながらふ・・・ 和辻哲郎 「面とペルソナ」
出典:青空文庫