・・・ この時、彼の眼と空との中には、赤い筋のある軍帽をかぶった日本騎兵の一隊が、今までのどれよりも早い速力で、慌しく進んで来た。そうしてまた同じような速力で、慌しくどこかへ消えてしまった。ああ、あの騎兵たちも、寂しさはやはり自分と変らないの・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ その内に八時の上り列車は長い汽笛を鳴らしながら、余り速力を早めずに堤の上を通り越した。保吉の捉える下り列車はこれよりも半時間遅いはずだった。彼は時計を出して見た。しかし時計はどうしたのか、八時十五分になりかかっていた。彼はこの時刻の相・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・が、何しろ凄まじい速力で、進行していた電車ですから、足が地についたと思うと、麦藁帽子が飛ぶ。下駄の鼻緒が切れる。その上俯向きに前へ倒れて、膝頭を摺剥くと云う騒ぎです。いや、もう少し起き上るのが遅かったら、砂煙を立てて走って来た、どこかの貨物・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 湿っぽい夜更けの風の気持好く吹いて来る暗い濠端を、客の少い電車が、はやい速力で駛った。生存が出来なくなるぞ! 斯う云ったKの顔、警部の顔――併し実際それがそれ程大したことなんだろうか。「……が、子供等までも自分の巻添えにするという・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。「ぼくはおまえを愛している」 ふと少女はそんな囁きを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風の唸りが消え、なだらかに橇が止まる頃に・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・欧州の政治史も読めば、スペンサーも読む、哲学書も読む、伝記も読む、一時間三十ページの割合で、日に十時間、三百ページ読んでまだ読書の速力がおそいと思ったことすらありました。そしてただいろんな事を止め度もなく考えて、思いにふけったものです。・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・同時に橇は、飛ぶような速力を出した。つづいて、シーシコフが発射した。 銃の響きは、凍った闇に吸いこまれるように消えて行った。「畜生! 逃がしちゃった!」 三 戸外で蒙古馬が嘶いた。 馭者の呉はなだめるよう・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・イワン・ペトロウイチは速力をゆるめた。彼の口ひげから眉にまで、白砂糖のような霜がまぶれついていた。「近松少佐! あの左手の山の麓に群がって居るのは何かね。」「……?」 大隊長にはだしぬけで何も見えなかった。「左手の山の麓に群がっ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・彼は馬の速力をゆるくした。そして、静かに、そこらにある車や、木切れなどを蹴散らさないように用心しいしい歩んだ。栗毛の肉のしまった若々しい馬は全速力で馳せのがれて来たため、かなり疲れて、呼吸がはずんでいた。 裏通りの四五軒目の、玄関とも、・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 馭者のチョッ/\という舌打ちがして、橇は速力をゆるめた。「誰だ?」「心配すんねえ!……えらそうに!」 声で、アメリカ兵であることが知れた。と同時に、別の弾力性のある若い女の声が闇の中にひゞいた。声の調子が、何か当然だという・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫