・・・沼南のような多忙な政治家が日に接踵する地方の有志家を撃退すると同じコツで我々閑人を遇するは決して無理はない。ブツクサいうものが誤っておる。 が、沼南の応対は普通の社交家の上ッ滑りのした如才なさと違って如何にも真率に打解けて対手を育服さし・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・良人は自分のある御かげで、彼が如何に物質的豊富であり、女性を遇する方法を知って居るかを人に誇ることが出来るのではないか、私共はどうせ、利益の交換で生きて居るのだと云う婦人。 此等三つの群のほかに、勿論、或一点を堂々廻りして只平安に生きて・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 私は、姓によって、彼を遇することを異るような世間には、世話にならないで生きて行くと云った。真個に、我々が生きて行く世界は其那浅薄なものではないのだ、と断言した。が、母上は、我々の突然な結婚によって受けた苦痛、恥辱の感、それを如何うして・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・そう云う徼幸者を遇する道は、私のためには熟路である。私はこの熟路を行くに、奇蹟たる他の一面を顧慮して、多少の手加減をすれば好いのである。 私は決して徼幸者に現金をわたさない。これが徼幸者に対する一つの原則である。そこで私はF君にこんな事・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫