・・・今夜の計略が失敗したことが、――しかしその為に婆さんも死ねば、妙子も無事に取り返せたことが、――運命の力の不思議なことが、やっと遠藤にもわかったのは、この瞬間だったのです。「私が殺したのじゃありません。あの婆さんを殺したのは今夜ここへ来・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・クララは夢の中にありながら生れ落ちるとから神に献げられていたような不思議な自分の運命を思いやった。晩かれ早かれ生みの親を離れて行くべき身の上も考えた。見ると三人は自分の方に手を延ばしている。そしてその足は黒土の中にじりじりと沈みこんで行く。・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 自己主張的傾向が、数年前我々がその新しき思索的生活を始めた当初からして、一方それと矛盾する科学的、運命論的、自己否定的傾向と結合していたことは事実である。そうしてこれはしばしば後者の一つの属性のごとく取扱われてきたにかかわらず、近来(・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・瞬間に人間の運命を照らす、仙人の黒き符のごとき電信の文字を司ろうと思うのです。 が、辞令も革鞄に封じました。受持の室の扉を開けるにも、鍵がなければなりません。 鍵は棄てたんです。 令嬢の袖の奥へ魂は納めました。 誓って私は革・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・予もまた子のあるなしは運命でしかたがない、子のある人は子のあるのを幸福とし、子のない人は子のないを幸福とするのほかないと説いた。お光さんの気もみしてるということは、かげながら心配していたが、それを聞いておおいに安心した由を告げた。しかしお光・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ その間に、僕のそばでぐッすり寝込んでいるらしい友人の身の上や、昔の寄宿舎生活などを思い浮べ 、友人の持っていた才能を延ばし得ないで、こんな田舎に埋れてしまう運命が気の毒になり、そのむくろには今どんな夢が宿っているだろうなどと、寝苦しい・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・が、既に右眼の視力を奪われたからには、霜を踏んで堅氷到るで、左眼もまたいつ同じ運命に襲われるかも計り難いのは予期されるので、決して無関心ではいられなかったろう。それにもかかわらず絶倫の精力を持続して『八犬伝』以外『美少年録』をも『侠客伝』を・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・このときに亡びないで、彼らは運命のいかんにかかわらず、永久に亡びないのであります。 越王勾践呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるは・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・「ああ、こうして、幻にうなされるというのも、わたしの運命であろう。」と、あるときは、思われました。「わたしさえ、我慢をすれば、それでいいのだ。」と、あるときは考えられました。そのうちに、皇子のほうからは、たびたび催促があって、そのう・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・ いったいに私は物事をおおげさに考えるたちで、私が今まで長々と子供のころの話をしてきたのも、里子に遣られたり、継母に育てられたり、奉公に行ったりしたことが、私の運命をがらりと変えてしまったように思っているせいですが、しかし今ふと考えてみ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫