・・・左肩にスエズ運河を船が通過するところ右下には英語でニッポン、ユーセンカイシャ、S・Sビンゴマルと書かれた今日で見れば小さい客船の写真がある。凡そ二十年ほど後に、父は再びこの運河を、このハガキに所謂我妹子と子ららやからを伴って通ったのであった・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・枳殻のまばらな裾から帆をあげた舟の出入する運河の河口が見えたりした。そしてその方向から朝日が昇って来ては帆を染めると、喇叭のひびきが聞えて来た。私はこの街が好きであった。しかし私はこの大津の街にもしばらくよりいられなかった。再び私は母と姉と・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・それを少し漕ぎ下ってから、舟は家と家との間の狭い運河へはいって行った。運河の両岸の光景は暗くて何もわからない。そういうところを何十分か漕いで行くうちに、だんだん左右が開けてくる。巨椋池の一端に達したらしいが、まだ暗くて遠くは見晴らせない。そ・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫