・・・土地は狭い、人目に立つ、死出三途ともいう処を、一所にさまよった身体だけに、自分から気が怯けて、避けるように、避けるように、世間のうわさに遠ざかったから、花の散ったのは、雨か、嵐か、人に礫を打たれたか、邪慳に枝を折られたか。今もって、取留めた・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 予は思わずそう邪険にいって帰途につく。兄夫婦も予もなお無言でおれば、子どもらはわけもわからずながら人々の前をかねるのか、ふたりは話しながらもひそひそと語り合ってる。 去年母の三年忌で、石塔を立て、父の名も朱字に彫りつけた、それも父・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・継子の夫を持てばやはり違うのかと奉公人たちはかんたんにすかされて、お定の方へ眼を配るとお定もお光にだけは邪険にするような気配はないようだった。 お定は気分のよい時など背中を起してちょぼんと坐り、退屈しのぎにお光の足袋を縫うてやったりして・・・ 織田作之助 「螢」
・・・そんなときふと邪慳な娼婦は心に浮かび、喬は堪らない自己嫌厭に堕ちるのだった。生活に打ち込まれた一本の楔がどんなところにまで歪を及ぼして行っているか、彼はそれに行き当るたびに、内面的に汚れている自分を識ってゆくのだった。 そしてまた一本の・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・姉は怒ってしまって、邪慳に掌を引っ張っている。そのたびに勝子は火の付くように泣声を高くする。「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を振り離してしまった。「今はしようないで、××膏をつけてくくっとこうよ」義母が取りなすように言っ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・とそうだ、あなたそうでしょう」とうるさく聞きながら、余の顔色を読もうとする、その祈るような気づかわしげな目づかいを見るのが苦しいから「ばかな、そんな事はないと言ったらない」と邪慳な返事で打ち消してやる。それでも一時は満足する事ができたようで・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・といって新聞紙で蔽った血痕を指して云った、自分の声が恐ろしく邪慳に自分の耳に響いた。真鍋さんはしきりに例の口調で指図して湯たんぽを取りよせたり氷袋をよこさせたりした、そして助手を一人よこしてつけてくれた。白い着物をつけた助手は自分の脚の方に・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・気立ての優しいよい娘であったが、可哀相にお袋が邪慳で、せっかく夫婦仲のよかった養子を離縁した。一体に病身であった娘は、その後だんだんに弱くなって、とうとう二十歳でこんな事になったと話して聞かせた。自分は少し前に上野でこの娘に会うたことを思い・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・何を思って吹いたのかと尋ねたら何でもいいと何時になく邪慳な返事をした。その日は碌々口もきかないで塞ぎ込んでいた。……春の野にありとあらゆる蒲公英をむしって息の続づかぬまで吹き飛ばしても思う様な辻占は出ぬ筈だとウィリアムは怒る如くに云う。然し・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 少しは読み書きも明るいけれ共、根のないお君は、ズーッと写真だけ見てしまうと、邪険に、雑誌を畳に放り出して、胸の上に手をあげて、そそくれ立った指先を見て居た。 こんなみじめな指をして居ては、若し、さっき彼の人のはめて居た様に、い・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫