・・・広大な戦場や都市を空中写真によって圧縮してスクリーンのわく内に収めることもできれば、スターの片方の目だけを同じスクリーンいっぱいに写し出すこともできる。従って、この特徴と重写の技巧とを併用すれば、一粒の芥子種の中に須弥山を収めることなどは造・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・国家の非常時に対する方面だけでも、煙幕の使用、空中写真、赤外線通信など、みんな煙の根本的研究に拠らなければならない。都市の煤煙問題、鉱山の煙害問題みんなそうである。灰吹から大蛇を出すくらいはなんでもないことであるが、大蛇は出てもあまり役に立・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・道路に土が顔を出している処には近代都市は存在しないということになるらしい。 荒川放水路の水量を調節する近代科学的閘門の上を通って土手を数町川下へさがると右にクラブハウスがあり左にリンクが展開している。 クラブの建物はいつか覗いてみた・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ 平泉の旧跡はなるほど景勝の地である。都市というものの発達するに恰好な条件を具えていて、しかもそれが極めて小規模な地形であるのは面白いと思われた。鎌倉やまたこの平泉などのこうした地形を見ると、昔の日本の人口の少なかった程度が推測されるよ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・しばらくすると復興事業が始まって、いつのまにかもとのように立派な都市ができる。もう一ぺん突きくずしてもまた同様である。蟻にはそうするよりほかに道がないであろう。 人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明す・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・東京の都市は王政復古の後早くも六十年の星霜を閲しながら、猶防火衛生の如き必須の設備すら完成することが出来ずにいる。都市のことを言うに臨んで公園の如き閑地の体裁について多言を費すのは迂愚の甚しきものであろう。昭和二年六月記・・・ 永井荷風 「上野」
・・・しかしわが東京、わが生れた孤島の都市は全く滅びて灰となった。郷愁は在るものを思慕する情をいうのである。再び見るべからざるものを見ようとする心は、これを名づけてそも何と言うべき歟。昭和廿一年十月草・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・しかし歳月の過るに従い、繁激なる近世的都市の騒音と燈光とは全くこの哀調を滅してしまったのである。生活の音調が変化したのである。わたくしは三十年前の東京には江戸時代の生活の音調と同じきものが残っていた。そして、その最後の余韻が吉原の遊里におい・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・わたくしはたとえ西洋の都市に青春の幾年かを送った経歴がなかったとしても、わたくしの生涯はやはり今日あるが如きものとなってしまうより外には、道がなかったように思われる。わたくしの健康、性癖、境遇、それらのものを思返して見ると、わたくしの身は世・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 災後、東京の都市は忽ち復興して、その外観は一変した。セメントの新道路を逍遥して新しき時代の深川を見る時、おくれ走せながら、わたくしもまた旧時代の審美観から蝉脱すべき時の来った事を悟らなければならないような心持もするのである。 木場・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫