・・・「何だ、その醜態は? 幕を引け! 幕を!」 声の主は将軍だった。将軍は太い軍刀のつかに、手袋の両手を重ねたまま、厳然と舞台を睨んで居た。 幕引きの少尉は命令通り、呆気にとられた役者たちの前へ、倉皇とさっきの幕を引いた。同時に蓆敷・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ しかるにある時この醜態を先生に発見せられ、一喝「お前はなぜそんな見苦しい事をする。」と怒鳴られたので、原稿投函上の迷信は一時に消失してしまった。蓋し自分が絶対の信用を捧ぐる先生の一喝は、この場合なお観音力の現前せるに外ならぬのである。・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 巡査は重々しき語気をもて、「はいではない、こんな処に寝ていちゃあいかん、疾く行け、なんという醜態だ」 と鋭き音調。婦人は恥じて呼吸の下にて、「はい、恐れ入りましてございます」 かく打ち謝罪るときしも、幼児は夢を破りて、・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・臍も脛も出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。 自分は何の為にこんな事をするのか、こんな事までせねば生きていられないのか、果なき人生に露のごとき命を貪って、こんな醜態をも厭わない情なさ、何という卑・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ しかし、これはおかしい程売れず、結果、学校、官庁、団体への大量寄贈でお茶を濁すなど、うわべは体裁よかったが、思えば、醜態だったね。だいいち、褒めるより、けなす方が易しいのでんで、文章からして「真相をあばく」の方が、いくらか下品にしろ、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 私は悲しくなってしまって、店の隅で黙々と洗い物をしているマダムの妹の、十五歳らしい固い表情をふと眼に入れながら、もう帰るよと起ち上ったが、よろめいて醜態であった。「這うて帰る積り……?」その足ではと停めるのを、「帰れなきゃ野宿・・・ 織田作之助 「世相」
・・・私はしょっちゅう尻尾を出している人間で、これから先もどんな醜態を演じて、世間の物わらいの種になるか、知れたものではないが、しかし、すくなくとも女から別れ話を持ち出されて泣きだすような醜態だけは、もはや見せることもあるまいと思われる。 そ・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・その醜態は何事だ!」父は暗い空の上からこう言った気がして、私はフラフラと昏倒するような気持になった。そこの梅の老木の枝ぶりも、私には誘惑だった。私はコソコソと往きとは反対の盗み足で石段を帰ってきたが、両側の杉や松の枝が後ろから招いてる気がし・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・「唯だ東京の奴等を言ったのサ、名利に汲々としているその醜態は何だ! 馬鹿野郎! 乃公を見ろ! という心持サ」と上村もまた真面目で註解を加えた。「それから道行は抜にして、ともかく無事に北海道は札幌へ着いた、馬鈴薯の本場へ着いた。そして・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・私は、あの人も、こんな体たらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態の極だと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
出典:青空文庫