・・・自分の醜態を意識してつらい時には、聖書の他には、どんな書物も読めなくなりますね。そうして聖書の小さい活字の一つ一つだけが、それこそ宝石のようにきらきら光って来るから不思議です。あの温泉宿で、ただ、うろうろして一枚の作品も書けず、ひどく無駄を・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 私は醜態の男である。なんの指針をも持っていない様子である。私は波の動くがままに、右にゆらり左にゆらり無力に漂う、あの、「群集」の中の一人に過ぎないのではなかろうか。そうして私はいま、なんだか、おそろしい速度の列車に乗せられているようだ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・私は、この十年来、東京に於いて実にさまざまの醜態をやって来ているのだ。とても許される筈は無いのだ。「なあに、うまくいきますよ。」北さんはひとり意気軒昂たるものがあった。「あなたは柳生十兵衛のつもりでいなさい。私は大久保彦左衛門の役を買い・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・春田が、どのような巧言を並べたてたかは、存じませぬけれど、何も、あんなにセンチメンタルな手紙を春田へ与える必要ございません。醜態です。猛省ねがいます。私、ちゃんとあなたのための八十円用意していたのに、春田などにたのんでは十円も危い。作家を困・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・要するに誰も、醜態を演じなかった。津軽地方で最も上品な家の一つに数えられていたようである。この家系で、人からうしろ指を差されるような愚行を演じたのは私ひとりであった。 × 余の幼少の折、(というような書出しは、れいの・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・約束を破ったからには、私は、ぶん殴られても仕方が無いのだと思えば、生きた心地もせず、もはや芸術家としての誇りも何もふっ飛んで、目をつぶって、その醜態の作品を投函してしまうのである。よほど意気地の無い男である。投函してしまえば、それっきりであ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・という返事で、ついに一度も、私が支払い得なかったという醜態ぶりであった。「新宿の秋田、ご存じでしょう! あそこでね、今夜、さいごのサーヴィスがあるそうです。まいりましょう。」 その前夜、東京に夜間の焼夷弾の大空襲があって、丸山君は、・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・それなら、こんどは様子を、それとなく内偵してみてくれ、もし人ちがいだと、醜態だから、と妹まで一緒になって、大騒ぎでした。」「妹さんも、あるのですか。」私のよろこびは、いよいよ高い。「ええ、私と四つちがうのですから、二十一です。」・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・読むとしても、主人公の醜態を行っている描写の箇所だけを、憫笑を以て拾い上げて、大いに呆れて人に語り、郷里の恥として罵倒、嘲笑しているくらいのところであろう。四年まえ、東京で長兄とちょっと逢った時にも長兄は、おまえの本を親戚の者たちへ送ること・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・自分の醜態の前科を、恥じるどころか、幽かに誇ってさえいた。実に、破廉恥な、低能の時期であった。学校へもやはり、ほとんど出なかった。すべての努力を嫌い、のほほん顔でHを眺めて暮していた。馬鹿である。何も、しなかった。ずるずるまた、れいの仕事の・・・ 太宰治 「東京八景」
出典:青空文庫