・・・ 霜風は蝋燭をはたはたと揺る、遠洋と書いたその目標から、濛々と洋の気が虚空に被さる。 里心が着くかして、寂しく二人ばかり立った客が、あとしざりになって……やがて、はらはらと急いで散った。 出刃を落した時、赫と顔の色に赤味を帯びて・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・境は、ふと奥山へ棄てられたように、里心が着いた。 一昨日松本で城を見て、天守に上って、その五層めの朝霜の高層に立って、ぞっとしたような、雲に連なる、山々のひしと再び窓に来て、身に迫るのを覚えもした。バスケットに、等閑に絡めたままの、城あ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ただただ私は、まだ兄たち二人とのなじみも薄く、こころぼそく、とかく里心を起こしやすくしている新参者の末子がそこに泣いているのを見た。 次郎は妹のほうを鋭く見た。そして言った。「女のくせに、いばっていやがらあ。」 この次郎の怒気を・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・、この家族は、北多摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど全部を気・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・のせいか、色即是空、酒もつまらぬ、小さい家を一軒買い、田舎から女房子供を呼び寄せて、……という里心に似たものが、ふいと胸をかすめて通る事が多くなった。 もう、この辺で、闇商売からも足を洗い、雑誌の編集に専念しよう。それに就いて、……。・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
出典:青空文庫