・・・鹿児島から着いた時、ジャパン・ホテルにいた数時間、実に堪え難い程町じゅうにはびこる物懶さ、眠さ、不活溌を感じたが、一日一日、滞在の日が重るにつれ、逆に快い落付きを感じて来た。降りこめられ、宿の三階で午後を暮しても、そこが旅先の泊りであるとい・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 度重るにつれて、だんだん遠慮のなくなった彼等は、このごろではまったく彼を使う。どこかで勢力を張らないではいられない彼等は、ただ一人の禰宜様宮田を対照として、各自の自尊心を満足させるのである。 ちょうど、たくさんいる小使の中でも、ど・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・もちろんそれぞれの作品には、出来、不出来もあり、むらもあるけれども、それらを一貫して明瞭な階級性があるから、度重る検挙投獄と執筆禁止を蒙ったと思います。戦前の作「乳房」は、ソヴェト世界革命文学の集に翻訳され、戦後の「播州平野」は、ソヴェトの・・・ 宮本百合子 「文学について」
・・・九郎右衛門の足痛は次第に重るばかりである。とうとう宇平と文吉とで勧めて、九郎右衛門を一旦姫路へ帰すことにした。九郎右衛門は渋りながら下関から舟に乗って、十二月十二日の朝播磨国室津に着いた。そしてその日のうちに姫路の城下平の町の稲田屋に這入っ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫