・・・僕らの芸術に先生がたの裏書きをしてもらうくらいなら、僕は野末でのたれ死にをしてみせる。とも子 えらいわ若様。瀬古 ひやかすなよ。花田 全くだ。第一僕たちのような頸骨の固い謀叛人に対して、大家先生たちが裏書きどころか、俺たちと・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ 汽車に連るる、野も、畑も、畑の薄も、薄に交る紅の木の葉も、紫籠めた野末の霧も、霧を刷いた山々も、皆嫁く人の背景であった。迎うるごとく、送るがごとく、窓に燃るがごとく見え初めた妙義の錦葉と、蒼空の雲のちらちらと白いのも、ために、紅、白粉・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・冴えた通る声で野末を押ひろげるように、鳴く、トントントントンと谺にあたるような響きが遠くから来るように聞える鳥の声は、梟であった。 一ツでない。 二ツも三ツも。私に何を談すのだろう、私に何を話すのだろう。鳥がものをいうと慄然として身・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・ 時は夏の最中自分はただ画板を提げたというばかり、何を書いて見る気にもならん、独りぶらぶらと野末に出た。かつて志村と共に能く写生に出た野末に。 闇にも歓びあり、光にも悲あり、麦藁帽の廂を傾けて、彼方の丘、此方の林を望めば、まじまじと・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・まだ宵ながら月は高く澄んで、さえた光を野にも山にもみなぎらし、野末には靄かかりて夢のごとく、林は煙をこめて浮かぶがごとく、背の低い川やなぎの葉末に置く露は玉のように輝いている。小川の末はまもなく入り江、潮に満ちふくらんでいる。船板をつぎ合わ・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・背低き櫨堤の上に樹ちて浜風に吹かれ、紅の葉ごとに光を放つ。野末はるかに百舌鳥のあわただしく鳴くが聞こゆ。純白の裏羽を日にかがやかし鋭く羽風を切って飛ぶは魚鷹なり。その昔に小さき島なりし今は丘となりて、その麓には林を周らし、山鳩の栖処にふさわ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音のいかにも幽かで、また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・櫟の金茶色の並木は暖い反射を燦かしたが、下の小さい流れの水はもう眠く薄らつめたく鈍った。野末の彼方此方から、人間が労働を終ろうとする轍の音や家畜の唸り声が微かな夕靄とともに聞えた。 ここは、然し静かで、居心地よくて極く早い夜の和らぎが満・・・ 宮本百合子 「白い翼」
・・・ その内に日は名残りなくほとんど暮れかかッて来て雲の色も薄暗く、野末もだんだんと霞んでしまうころ、変な雲が富士の裾へ腰を掛けて来た。原の広さ、天の大きさ、風の強さ、草の高さ、いずれも恐ろしいほどに苛めしくて、人家はどこかすこしも見えず、・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 四 野末の陽炎の中から、種蓮華を叩く音が聞えて来る。若者と娘は宿場の方へ急いで行った。娘は若者の肩の荷物へ手をかけた。「持とう。」「何アに。」「重たかろうが。」 若者は黙っていかにも軽そうな容子・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫