・・・一例を挙ぐれば、現代一般の芸術に趣味なき点は金持も貧乏人もつまりは同じであるという事から、モオリスは世のいわゆる高尚優美なる紳士にして伊太利亜、埃及等を旅行して古代の文明に対する造詣深く、古美術の話とさえいえば人に劣らぬ熱心家でありながら、・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・よくあいつは遊んでいて憎らしいとかまたはごろごろしていて羨ましいとか金持の評判をするようですが、そもそも人間は遊んでいて食える訳のものではない。遊んでいるように見えるのは懐にある金が働いてくれているからのことで、その金というものは人のために・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・そりゃ金持ちと云う奴さ。分ったかい」 蛞蝓はそう云って憐れむような眼で私を見た。「どうだい。も一度行かないか」「今行ったが開かなかったのさ」「そうだろう、俺が閂を下したからな」「お前が! そしてお前はどこから出て来たんだ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ひどい奴等だよ、金持と云う奴等は。」「なぜぬすっとをしない。」爺いさんが荒々しい声で云った。 この詞は一本腕の癪に障った。「なに。ぬすっとだ。口で言うのは造做はないや。だが何を盗むのだ。誰の物を盗むのだ。盗むにはいろいろ道具もいるし・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・単に金持が羨しいんじゃない。形は違うが、一つああいう風の事業をやろうと云うのを見当としてそんな方面にも走った事がある。で、私の職業の変遷を述べれば、官報局の翻訳係、陸軍大学の語学教師、海軍省の編輯書記、外国語学校の露語教師なぞという順序だが・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・するとその貯金がたまって後には金持に出世する。しかし大鷲の意見と僕の意見と往々衝突するから保証は出来ない。 三橋に出ると驚いた。両側の店は檐のある限り提灯を吊して居る。二階三階の内は二階三階の檐も皆長提灯を透間なく掛けて居る。それでまだ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・人間の中の貴族でも、金持でも、又私のような、中産階級でも、それからごくつまらない乞食でもね。」「はあ、」豚は声が咽喉につまって、はっきり返事ができなかった。「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バク・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ 清助は、大力な、髭むじゃな、字の読めない正直な金持の百姓であった。彼は仙二の立場をよく理解した。 三 村役場と村役場、村役場と姪の一家族。交渉はなかなか手間どった。永年住んでいたものだから、毎月敷生村・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・情知で金持で、相愛する二人を困厄の中から救い出す。大抵津藤さんは人の対話の内に潜んでいて形を現さない。それがめずらしく形を現したのは、梅暦の千藤である。千葉の藤兵衛である。 当時小倉袴仲間の通人がわたくしに教えて云った。「あれは摂津国屋・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・彼らの眼にはこの種の芸術は貴族や金持ちの道楽品に過ぎぬので、それを破壊するのが何ゆえ大きい罪であるかという事はほとんど理解せられないのである。この種の民衆は、たとえばトルストイの芸術論を基礎として、多くの優秀な芸術品の破壊を命令しないとも限・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫