ちょうしゅうせいばつ【長州征伐】
幕末、江戸幕府が二度にわたり、長州藩を攻めた戦い。幕府は蛤御門 (はまぐりごもん) の変を理由に、元治元年(1864)長州へ出兵したが、外国の連合艦隊の下関来襲で危機に立っていた長州藩が恭順したので戦わずに撤兵。のち、長州藩首脳のこの処置に不満を抱いた高杉晋作らの強硬派が恭順派を一掃、幕府に対抗する姿勢を示した。幕府は慶応2年(1866)長州再征を行ったが敗退し、撤兵。以後、幕府の権威は急速に失われた。
ちょうしゅうぶろ【長州風呂】
円筒形の鋳鉄の釜の周囲を、耐火煉瓦 (れんが) ・コンクリート・漆喰 (しっくい) などで固めて据え付けにした風呂。五右衛門風呂ともいう。
ちょうしゅうごけつ【長州五傑】
⇒長州ファイブ
ちょうしゅうファイブ【長州ファイブ】
幕末期の文久3年(1863)に長州藩が幕府に隠して英国に派遣した、伊藤俊輔(博文)・井上聞多(馨)・野村弥吉(井上勝)・山尾庸三・遠藤謹助の5人の藩士の通称。長州五傑。