・・・彼の声はかすかであったが、言葉は長物語の間にも、さらに乱れる容子がなかった。蘭袋は眉をひそめながら、熱心に耳を澄ませていた。が、やがて話が終ると、甚太夫はもう喘ぎながら、「身ども今生の思い出には、兵衛の容態が承りとうござる。兵衛はまだ存命で・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ 今は物思いに沈んで、一秒の間に、婆が長物語りを三たび四たび、つむじ風のごとく疾く、颯と繰返して、うっかりしていた判事は、心着けられて、フト身に沁む外の方を、欄干越に打見遣った。 黄昏や、早や黄昏は森の中からその色を浴びせかけて、滝・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 盲腸という無用の長物に似た神秘のヴェールを切り取る外科手術! 好奇心は満足され、自虐の喜悦、そして「美貌」という素晴らしい子を孕む。しかし必ず死ぬと決った手術だ。 やはり宮枝は慄く、男はみな殺人魔。柔道を習いに宮枝は通った。社交ダンス・・・ 織田作之助 「好奇心」
・・・ 二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。 五 二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまし・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・この世に無用の長物ひとつもなし。蘭童あるが故に、一女優のひとすじの愛あらわれ、菊池寛の海容の人情讃えられ、または蘭童かかりつけの××の閨房に御夫人感謝のつつましき白い花咲いた。 ――お葉書、拝見いたしましたが、ぼくの原稿、どうしても・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ ケレドモ、所詮、有閑ノ文字、無用ノ長物タルコト保証スル、飽食暖衣ノアゲクノ果ニ咲イタ花、コノ花ビラハ煮テモ食エナイ、飛バナイ飛行機、走ラヌ名馬、毛並ミツヤツヤ、丸々フトリ、イツモ狸寝、傍ニハ一冊ノ参考書モナケレバ、辞書ノカゲサエナイヨ・・・ 太宰治 「走ラヌ名馬」
・・・この世に無用の長物は見当らぬ。いわんや、その性善にして、その志向するところ甚だ高遠なるわが黄村先生に於いてをやである。黄村先生とは、もとこれ市井の隠にして、時たま大いなる失敗を演じ、そもそも黄村とは大損の意かと疑わしむるほどの人物であるけれ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・作家は、無用の長物かも知れんが、そんな時には、ほんの少しだろうが有りがたいところもあるものだよ。勉強し給え。おわかれに当って言いたいのは、それだけだ。諸君、勉強し給え、だ。」 生徒たちと、わかれてから、私は、ほんの少し酒を飲みに、或る家・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・ 酒やコーヒーのようなものはいわゆる禁欲主義者などの目から見れば真に有害無益の長物かもしれない。しかし、芸術でも哲学でも宗教でも実はこれらの物質とよく似た効果を人間の肉体と精神に及ぼすもののように見える。禁欲主義者自身の中でさえその禁欲・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・この問題はあまり簡単ではないが、ともかくも四本の一本がまさかのときの用心棒として平時には無用の長物という不名誉の役目を引き受けているのであろう。 数の勘定には十進法の数字だけあればそれでよいというのは、言わば机の三本足を使う流儀であって・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫