・・・という長編小説の書評が、三段抜きで大きく出ていた。或る先輩の好意あふれるばかりの感想文であった。それこそ、過分のお褒めであった。私と北さんとは、黙って顔を見合せ、そうして同じくらい嬉しそうに一緒に微笑した。素晴らしい旅行になりそうな気がして・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・私の実感を以て言うならば、およそ二十の長篇小説を書き上げるくらいの御苦労をおかけしたのである。そうして私は相変らずの、のほほん顔で、ただ世話に成りっ放し、身のまわりの些細の事さえ、自分で仕様とはしないのだ。 三十歳のお正月に、私は現在の・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・一、長篇のこと。云われるまでもなく早まった気がして居る。屑物屋へはらうつもりで承知してしまったのだが、これはしばらく取消しにしよう。この手紙といっしょに延期するむね葉書かいた。どうせ来年の予定だったから、来年までには、僕も何とかなるつもりで・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・という長編を読み、とんだ時間つぶしをしたと愚痴を言っていたのを、私は幼い時に聞いて覚えている。 しかし、その家系には、複雑な暗いところは一つも無かった。財産争いなどという事は無かった。要するに誰も、醜態を演じなかった。津軽地方で最も上品・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・家の前庭のおおきい栗の木のしたにテエブルと椅子を持ちだし、こつこつと長編小説を書きはじめた。彼のこのようなしぐさは、自然である。それについては諸君にも心あたりがないとは言わせぬ。題を「鶴」とした。天才の誕生からその悲劇的な末路にいたるまでの・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・ わたしは筆を中途に捨てたわが長編小説中のモデルを、しばしば帝国劇場に演ぜられた西洋オペラまたはコンセールの聴衆の中に索めようと力めた。また有楽座に開演せられる翻訳劇の観客に対しては特に精細なる注意をなした。わたしは漸くにして現代の婦人・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 二 まだ築地本願寺側の僑居にあった時、わたしは大に奮励して長篇の小説に筆をつけたことがあった。その題も『黄昏』と命じて、発端およそ百枚ばかり書いたのであるが、それぎり筆を投じて草稿を机の抽斗に突き込んでしまった・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ この事情のもとに成れる左の長篇は、講演として速記の体裁を具うるにも関わらず、実は講演者たる余が特に余が社のために新に起草したる論文と見て差支なかろうと思う。これより朝日新聞社員として、筆を執って読者に見えんとする余が入社の辞に次いで、・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 春風馬堤曲とは俳句やら漢詩やら何やら交ぜこぜにものしたる蕪村の長篇にして、蕪村を見るにはこよなく便となるものなり。俳句以外に蕪村の文学として見るべきものもこれのみ。蕪村の熱情を現わしたるものもこれのみ。春風馬堤曲とは支那の曲名を真似た・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ そこにこそ、このひとつらなりの長篇に力を傾ける作者の歓喜と信頼がかくされている。「二つの庭」は、人間の善意が、次第に個人環境のはにかみと孤立と自己撞着から解きはなされて現代史のプログラムに近づいてゆく、その発端の物語としてあらわれる。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
出典:青空文庫