・・・が、僅かに私の容貌の中で、これだけは年相応だと思われるのは、房々とした黒い長髪である。私の頭には一本の白髪もなく、また禿げ上った形跡もない。人一倍髪の毛が長く、そして黒い。いわばこの長髪だけが無疵で残って来たという感じである。おまけにこの長・・・ 織田作之助 「髪」
・・・という小説で、私が自分の長髪のためにどれだけ苦労したかという話を書いたが、しかし、私が本当に長髪で苦労したのは、三度に及んだ点呼の時ぐらいなもので、それにくらべると、煙草の苦労は私の生活を殆んど破壊せんばかりであった。二 私・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・温泉宿の一室に於いて、床柱を背負って泰然とおさまり、机の上には原稿用紙をひろげ、もの憂げに煙草のけむりの行末を眺め、長髪を掻き上げて、軽く咳ばらいするところなど、すでに一個の文人墨客の風情がある。けれども、その、むだなポオズにも、すぐ疲れて・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・ ヘルマン教授は胡麻塩の長髪を後ろへ撫でつけていて、いつも七つ下がりのフロックを着ていたが、講義の言語はこの先生がいちばん分りやすくて楽であった。自由に図書室へ出入りすることを許されたが図書室の中はいつ行ってみても誰もいないでひっそりし・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・こんどは人間が流れて来た、三人で皆長髪だ。ああいやだなと人を呼びにゆくところで、目がさめた。 その三人が長髪であったので、さめたあとまでいやな心持がして仕様がないから、電報を打とうかと思ったよ、そしてこんな馬鹿な想像をしたのさ、スエ子が・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 出版書肆からの手形の書きかえでやっとやりくっているのに、バルザックは馬を数頭、馬車を二台も買って、自分は金ボタンのついた青い服を着、貴族風な長髪を調え、手には当時すべての漫画に添えて描かれたトルコ玉を鏤めた有名な杖をもち、貴族街サン・・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・エフレイノフは美しい長髪を振りながら、善良な心に燃えてゴーリキイを説得した。「君は生れつき科学に奉仕するために作られているんだ。――大学は正に君のような若者を必要としているのだ」 そして、エフレイノフの言葉に従えば、カザンへ行ったら・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ニージュニで知り合った彼より四つ年上の中学生が美しい長髪をふりながら彼のその計画を励ました。「君は生れつき科学に奉仕するために作られているんだ。――大学はまさに君のような若者を必要としているのだ。」 ところが、カザンに到着して三日経・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
出典:青空文庫