・・・思い掛けない事なので、呆れて目をいて、丁度電にでも撃たれたように、両腕を物を防ぐような形に高く上げて一歩引き下がった。そして口から怪しげな、笑うような音を洩らして、同じ群の外の男等を見廻した。「今聞いた詞は笑談ではなかったか知らん。」 ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・吹出物だけは、ほんとうに、ふだんの用心で防ぐことができない、何かしら天意に依るもののように思われます。天の悪意を感じます。五年ぶりに帰朝する御主人をお迎えにいそいそ横浜の埠頭、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに紫色の腫・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・空腹を防ぐために子への折檻をひかえた黄村、子の名声よりも印税が気がかりでならぬ黄村、近所からは土台下に黄金の一ぱいつまった甕をかくしていると囁かれた黄村が、五百文の遺産をのこして大往生をした。嘘の末路だ。三郎は嘘の最後っ屁の我慢できぬ悪臭を・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・雨を防ぐ荒筵は遠い堤下へ飛んで竹の柱は傾き倒れ、軒を飾った短冊は雨に叩けて松の青葉と一緒に散らばっている。ビール罎の花も芋の切れ端も散乱して熊さんの蒲団は濡れしおたれている。熊さんはと見廻したが何処へ行ったか姿も見えぬ。 惻然として浜辺・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・それを避けるために隣室で立ち聞く人を映したりして単調を防ぐ必要が起こって来る。 それよりも困ったことには国語の相違ということが有声映画の国際的普遍性を妨げる。無声映画を「聞」いていた観客は、有声になったために聾になってしまった。 こ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・また衣服その他で頭をおおい、また腹部を保護するという事は、つまり電気の半導体で馬の身体の一部を被覆して、放電による電流が直接にその局部の肉体に流れるのを防ぐという意味に解釈されて来るのである。 またこういう放電現象が夏期に多い事、および・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ 夏から秋へかけての日盛に、千葉県道に面した商い舗では砂ほこりを防ぐために、長い柄杓で溝の水を汲んで撒いていることがあるが、これもまたわたくしには、溝の多かった下谷浅草の町や横町を、風の吹く日、人力車に乗って通り過ぎたころのむかしを思い・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 最初河水の汎濫を防ぐために築いた向島の土手に、桜花の装飾を施す事を忘れなかった江戸人の度量は、都会を電信柱の大森林たらしめた明治人の経営に比して何たる相違であろう。 巴里の人たちは今でも日曜日には家族を引連れて郊外の青草の上で葡萄・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・だから混同を防ぐためにこの二つを区別しておいて歩を進めます。しかしその論法は大体においての場合、すなわち吾人は知の働きを愛して、これに一種の情を付与すと云う条りに説明したものと変りはありません。吾人の心裏に往来する喜怒哀楽は、それ自身におい・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・台の前部に藁が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫