・・・前年九月ワルソーに突入したナチス軍は四〇年の春ノルウェーに進出し、五月マジノ線を突破して一ヵ月の後フランスを降伏させていた。第二次ヨーロッパ大戦は次第にクライマックスに向いはじめた。日本の天皇制権力とその軍閥は目前のドイツファシズムの勝利に・・・ 宮本百合子 「年譜」
この往復書簡集三巻におさめられている宮本顕治・宮本百合子の手紙は、一九三四年十二月から一九四五年八月十五日、日本の無条件降伏後、治安維持法が撤廃されて、十月十日網走刑務所から顕治が解放されるまでにとりかわされた書簡、百合子・・・ 宮本百合子 「はしがき(『十二年の手紙』その一)」
・・・ だから、一九四五年八月十五日、日本のファシズム権力が無条件降伏しポツダム宣言を受諾したのち、「聖戦」が帝国主義の侵略戦争であったといわれても、すぐそれを納得しかねる感情が大部分の人民の心にひそんでいる。その心持は今日も決して根絶してい・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・そして、一九四五年八月十五日無条件降伏を以てこの惨劇を終った。特に太平洋戦争が始まってから、我々日本の人民は、その戦争を大東亜戦争という名で呼ばされた。且つ「聖戦」と言い聞かされた。ところが敗戦してポツダム宣言を受諾した時、日本は連合諸国か・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫