・・・何卒御納め下されまして、御随意御引取下されまするように。」と、利口に云廻して指をついて礼をすると、主人も同時に軽く頭を下げて挨拶した。 すると「にッたり」は「にッたり」で無くなった。俄に強く衝き動かされて、ぐらぐらとなったように見え・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・「ご随意に。」 風呂から出て、高野さちよは、健康な、小麦色の頬をしていた。乙彦は、どこかに電話をかけた。すぐ来い、という電話であった。 やがて、ドアが勢よくあき、花のように、ぱっと部屋を明るくするような笑顔をもって背広服着た青年・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・いわゆるカットバックの技巧で過去のシーンを現在に引きもどすことが随意にできるのもおもしろくないことはないが、これは言わば「フィルムの記憶」の利用であって、人間の脳の記憶の代用に過ぎない。しかし真に不思議なのはフィルムの逆行による時の流れの逆・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・作りたい人はいくらでも勝手に作り、鑑賞したい人はいくらでも随意に鑑賞すればそれでよいわけであろうと思われる。 そういう議論のいかんにかかわらず新型式俳句というものが現に存在しており、それを主張する人と支持する人があるという事は否定するこ・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・そうして伝説の化け物新作の化け物どもを随意に眼前におどらせた。われわれの臆病なる小さな心臓は老人の意のままに高く低く鼓動した。夜ふけて帰るおのおのの家路には木の陰、川の岸、路地の奥の至るところにさまざまな化け物の幻影が待ち伏せて・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・ マルキシズムその他いろいろなイズムの立場から蜜蜂に注文をつけるのは随意であるが、蜜蜂はそんな注文を超越してやっぱり同じように蜜を集めるであろう。そうして忙しい蜜蜂はおそらくそういう注文者を笑ったりそしったりする暇すらないであろうと思わ・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・ただしその概念が人々随意に異なり普遍的でない事は争われぬ。 以上の程度までは物理学者も素人もあまり変わりはないようであるが、物理学者と素人と異なる所は普通人間にも存するこのような感覚をはなれた見方をどこまでも徹底させて行く点にある。物理・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・ただカーライルの旧廬のみは六ペンスを払えば何人でもまた何時でも随意に観覧が出来る。 チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。 毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・従ってこの篇の如きも作者の随意に事実を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりしてかなり小説に近いものに改めてしもうた。主意はこんな事が面白いから書いて見ようというので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しようというのではない。その・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 好悪は人々の随意である。好悪より生ずる物品金銭の贈与もまた人々の随意である。英国の王家が月桂詩人の称号をスウィンバーンに与えないで、オースチンに年々二、三百磅の恩給を贈るのは、単に王家がこの詩人に対する好悪の表現と見ればそれまでである・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
出典:青空文庫