・・・ 太陽はまだ地平線にあらわれないが、隣村のだれかれ馬をひいてくるものもある。荷車をひいてくるものもある。天秤の先へ風呂敷ようのものをくくしつけ肩へ掛けてくるもの、軽身に懐手してくるもの、声高に元気な話をして通るもの、いずれも大回転の波動・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 村の或家さ瞽女がとまったから聴きにゆかないか、祭文がきたから聴きに行こうのと近所の女共が誘うても、民子は何とか断りを云うて決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾物があるからとの事で、例の向うのお浜や隣のお仙等が大騒ぎして見にゆくというに・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 表通りで夜番の拍子木が聞える。隣村らしい犬の遠ぼえも聞える。おとよはもはやほとんど洗濯の手を止め、一応母屋の様子にも心を配った。母屋の方では家その物まで眠っているごとく全くの寝静まりとなった。おとよはもう洗い物には手が着かない。起って・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そこにあった、みすぼらしい小学校へは、遠く隣村から通ってくる年老った先生がありました。日の長い夏のころは、さほどでもなかったが、じきに暮れかかるこのごろでは、帰りに峠を一つ越すと、もう暗くなってしまうのでした。「先生、天気が変わりそうで・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・「おお、これは私の生まれた、隣村の名だ。」と、良吉は、その文字に吸いつけられたように近づきました。そして、もっとなにか書いてなかろうかと、さがしたけれど、それしか文字が書いてありませんでした。「だれが、書いたのだろうな。」と、彼は、・・・ 小川未明 「隣村の子」
はるかなそりの跡 この村には七つ八つから十一、二の子供が五、六人もいましたけれど、だれも隣村の太郎にかなうものはありませんでした。太郎は、まだやっと十二ばかりでした。けれど力が強くて、年のわりあいに体が大きくて手足が太くて、目が・・・ 小川未明 「雪の国と太郎」
・・・振りかえって見ると武之允といういかめしい名を寺の和尚から附けてもらった男で隣村に越す坂の上に住んでいる若い者でした。『なんだ。武之允山城守』『全く修蔵様は尺八が巧いよ』とにやにや笑うのです。この男は少し変りもので、横着もので、随分人・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・慶応贔屓で、試合の仲継放送があると、わざわざ隣村の時計屋の前まで、自転車できゝに出かけた。 五月一日の朝のことである。今時分、O市では、中ノ島公園のあの橋をおりて、赤い組合旗と、沢山の労働者が、どん/\集っていることだろうな、と西山は考・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・自分の村ばかりでなく、隣村まで出かけて喋くりに行く。自分の村から百五十票取って見せると云いだせば、そういう男は必ず取る。若し、自分の村で約束したゞけ取れそうになかったら、隣村へ侵蝕してでも、無理やりに取る。 候補に立とうとするような地主・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
ある薄ら曇りの日、ぶらぶら隣村へ歩いた。その村に生田春月の詩碑がある。途中でふとその詩碑のところへ行ってみる気になって海岸の道路を左へそれ、細道を曲り村の墓地のある丘へあがって行った。 墓地の下の小高いところに海に面し・・・ 黒島伝治 「短命長命」
出典:青空文庫