・・・その詩は父の遺稿に、蘆花如雪雁声寒 〔蘆花は雪の如く 雁の声は寒し把酒南楼夜欲残 南楼に酒を把り 夜残らんと欲す四口一家固是客 四口の一家は固より是れ客なり天涯倶見月団欒 天涯に倶に見る月も団欒す〕・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・ 床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の煙りが染み込んで、軸は若冲の蘆雁と見える。雁の数は七十三羽、蘆は固より数えがたい。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。「こ・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・「揚出し」の前を過ぎて進んで往た。「雁鍋」も「達磨汁粉」も家は提灯に隠れて居る。瓦斯燈もあって、電気燈もあって、鉄道馬車の灯は赤と緑とがあって、提灯は両側に千も万もあって、その上から月が照って居るという景色だ。実に奇麗で実に愉快だ。自分はこ・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ 枯れ柴にくひ入る秋の蛍かな 闇の雁手のひら渡る峠かな 二更過ぐる頃軽井沢に辿り着きてさるべき旅亭もやと尋ぬれども家数、十軒ばかりの山あいの小村それと思しきも見えず。水を汲む女に聞けば旅亭三軒ありといわるるに喜びて一つの・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・「……童子のです。」「童子ってどう云う方ですか。」「雁の童子と仰っしゃるのは。」老人は食器をしまい、屈んで泉の水をすくい、きれいに口をそそいでからまた云いました。「雁の童子と仰っしゃるのは、まるでこの頃あった昔ばなしのような・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・「鶴や雁です。さぎも白鳥もです。」「鶴はたくさんいますか。」「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」「いいえ。」「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴いてごらんなさい。」 二人は・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・「舞姫」「埋木」「雁」等を書いた。鴎外が晩年伝記を主として執筆したことは、彼の現実の装飾なき美を愛した心からだけ選ばれた道であったろうか。彼の帝国博物館総長図書頭という官職は果して彼の文学的達成にプラスとなっているのみであろうか。伝記を読む・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・の久内の生きかたによって、今日大多数の小市民・インテリゲンチアが求めている階級性を絶した自己の確立感、不安、動揺の上に毅然と立つ一個の自由人の境地を示そうとしているのである。雁金八郎という、小学校をでたばかりであるが発明についての才能をもっ・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 一行が帰るとき迎えに出た人々は、香以、雁伍、余瓶、以白、集雨以上五人である。「巣へもどる親まつ鳰のもろ音哉。香以。」 跋文は香以が自ら草している。その他数人の歌俳及古今体狂詩が添えてある。 按ずるに乙卯は竜池の歿する前年で・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・それにつけても未練らしいかは知らぬが、門出なされた時から今日までははや七日じゃに、七日目にこう胸がさわぐとは……打ち出せば愚痴めいたと言われ……おお雁よ。雁を見てなげいたという話は真に……雁、雁は翼あって……のう」 だが身贔負で、なお幾・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫