・・・参詣が果てると雑煮を祝って、すぐにお正月が来るのであったが、これはいつまでも大晦日で、餅どころか、袂に、煎餅も、榧の実もない。 一寺に北辰妙見宮のまします堂は、森々とした樹立の中を、深く石段を上る高い処にある。「ぼろきてほうこう。ぼ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・地獄だ、地獄だ、と思いながら、私はいい加減のうけ応えをして酒を飲み、牛鍋をつつき散らし、お雑煮を食べ、こたつにもぐり込んで、寝て、帰ろうとはしないのである。 義。 義とは? その解明は出来ないけれども、しかし、アブラハムは、ひと・・・ 太宰治 「父」
・・・一家そろって、お雑煮を食べてそれから長女ひとりは、すぐに自分の書斎へしりぞいた。純白の毛糸のセエタアの、胸には、黄色い小さな薔薇の造花をつけている。机の前に少し膝を崩して坐り、それから眼鏡をはずして、にやにや笑いながらハンケチで眼鏡の玉を、・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 今はどうか知らないが昔の田舎の風として来客に食物を無理強いに強いるのが礼の厚いものとなっていたから、雑煮でももう喰べられないといってもなかなかゆるしてくれなかったものである。尤も雑煮の競食などということが普通に行われていた頃であるから・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・そして飲みたくない酒を嘗めさせられ、食いたくない雑煮や数の子を無理強いに食わせられる事に対する恐怖の念をだんだんに蓄積して来たものであるらしい。 それでも彼が二十六の歳に学校を卒業してどうやら一人前になってから、始めて活版刷の年賀端書と・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・ 翌朝は宿で元日の雑煮をこしらえるのに手まがとれた。汽車の時間が迫ったので、みんな店先で草鞋をはいたところへやっと出来て来たので、上り口に腰かけたまま慌ただしい新春を迎えたのであったが、これも考えてみるとやはり官能的の出来事であった。や・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・栄子たちが志留粉だの雑煮だの饂飩なんどを幾杯となくお代りをしている間に、たしか暖簾の下げてあった入口から這入って来て、腰をかけて酒肴をいいつけた一人の客があった。大柄の男で年は五十余りとも見える。頭を綺麗に剃り小紋の羽織に小紋の小袖の裾を端・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・三椀の雑煮かふるや長者ぶり少年の矢数問ひよる念者ぶり鶯のあちこちとするや小家がち小豆売る小家の梅の莟がち耕すや五石の粟のあるじ顔燕や水田の風に吹かれ顔川狩や楼上の人の見知り顔売卜先生木の下闇の訪はれ顔・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
「こんなに揃って雑煮を食うのは何年振りですかなア、実に愉快だ、ハハー松山流白味噌汁の雑煮ですな。旨い、実に旨い、雑煮がこんなに旨かったことは今までない。も一つ食いましょう。」「羽織の紋がちっと大き過ぎたようじゃなア。」「何に大きいことは・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・二、雑煮、おにしめ。つめたい重のものを、ひるあついあつい御飯とたべる美味しさ。〔一九二六年一月〕 宮本百合子 「記憶に残る正月の思い出」
出典:青空文庫