・・・またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピアノトリオに浮き立って、グラスが鳴り、流眄が光り、笑顔が湧き立っているレストランの天井には、物憂い冬の蠅が幾匹も舞っていた。所在なくそんなものまで見て・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・叫ぶもの呼ぶもの、笑声嬉々としてここに起これば、歓呼怒罵乱れてかしこにわくというありさまで、売るもの買うもの、老若男女、いずれも忙しそうにおもしろそうにうれしそうに、駆けたり追ったりしている。露店が並んで立ち食いの客を待っている。売っている・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ どこへ行こうというあてもなく、駅のほうに歩いて行って、駅の前の露店で飴を買い、坊やにしゃぶらせて、それから、ふと思いついて吉祥寺までの切符を買って電車に乗り、吊皮にぶらさがって何気なく電車の天井にぶらさがっているポスターを見ますと、夫・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・植木の露店には、もう躑躅が出ている。 デパアトに沿って右に曲折すると、柳町である。ここは、ひっそりしている。けれども両側の家家は、すべて黒ずんだ老舗である。甲府では、最も品格の高い街であろう。「デパアトは、いまいそがしいでしょう。景・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・無代進呈いたします。露店商人にも、意地は、あるんだ。みんな、ただで差しあげます。ああ、お嬢さん、ほしいの? いいねえ、あなたは、人を疑わない。はじめから、おれが、ただで、この万年筆をさしあげること、はじめっから信じていてくれたんですね。ああ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 私は露店から一袋十円の南京豆を二袋買い、財布をしまって、少し考え、また財布を出して、もう一袋買った。むかし私はこの子のために、いつも何やらお土産を買って、そうして、この子の母のところへ遊びに行ったものだ。 母は、私と同じとしであっ・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・死に物狂いの大晦日の露店の引き上げた跡の街路には、紙くずやら藁くずやら、あらゆるくずという限りのくず物がやけくそに一面に散らばって、それがおりからのからび切った木枯らしにほこり臭い渦を巻いては、ところどころの風陰に寄りかたまって、ふるえおの・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 真菰の精霊棚、蓮花の形をした燈籠、蓮の葉やほおずきなどはもちろん、珍しくも蒲の穂や、紅の花殻などを売る露店が、この昭和八年の銀座のいつもの正常の露店の間に交じって言葉どおりに異彩を放っていた。手甲、脚絆、たすきがけで、頭に白い手ぬぐい・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・それはとにかく、その勧工場のもう一つ前の前身としては浅草の仲見世や奥山のようなものがあり、両国の橋のたもとがあり、そうして所々の縁日の露店があったのだという気がする。田舎では鎮守の祭りや市日の売店があった。西洋でもおそらく同様であったろうと・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・こう考えて来ると自分などは街頭に露店をはって買手のかかるのを待っている露店商人とどこかしらかなり似たところがあるようにも思われてくるのである。 同じようなことを繰返すのでも、中途半端の繰返しは鼻についてくるが、そこを通り越して徹底的に繰・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
出典:青空文庫