・・・現在の東京の子供なら静岡か浜松か軽井沢へでも行っていたのと相当する訳である。交通速度の標準が変ると距離の尺度と時間の尺度とがまるきり喰いちがってしまうのである。 その頃にもよく浜で溺死者があった。当時の政客で○○○議長もしたことのあるK・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・そうして東京、横浜、沼津、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島から福岡へんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。そういうことがないとは何人も保証できない。宝永安政の昔ならば各地の被害は各地それ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。静岡の南東久能山の麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当潰家もあり人死もあった。しかし破壊的地震としては極・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・金谷の隧道長くて灯を点したる、これは昔蛇の住みし穴かと云いししれ者の事など思い出す。静岡にて乗客多く入れ換りたれど美人らしきは遂に乗らず。東の方は村雨すと覚しく、灰色の雲の中に隠見する岬頭いくつ模糊として墨絵に似たり。それに引きかえて西の空・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 恭二は静岡の魚問屋の坊ちゃんで、倉の陰で子守相手に「塵かくし」ばかり仕て居たほど気の弱い頭の鉢の開いた様な子だったが十九の年、中学を出ると一緒に、良吉の家へ養子になった。 良吉の妹が口を利いたので、母親がほんとでありながら、愛され・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・たらやらせてくれないか、よし、それを宍が、五円ぐらい貰えると思い、じゃと湯にたのむ、月給が半年なくて丸ビルにいるつとめ人の心理 三等の旅費が出る、○「途中下車も出来ますしね この間静岡へ行ったときも熱海へまわって来ました・・・ 宮本百合子 「SISIDO」
・・・三陸の鰯は静岡の茶園へ行って、そこでもう一遍ほぐしてただの鰯に戻されて、それから茶の根に肥料として使われたという。 この間知り人のところで病人が出来た。病人さんは子供ではないのだけれど、この頃のことだから甘えてキャラメルがほしいという注・・・ 宮本百合子 「諸物転身の抄」
出典:青空文庫