・・・池かと思うほど静止した堀割の水は河岸通に続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返をつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度汐時であろう。泊っている荷舟の苫屋根が往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと真直に・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事かわからなかった。だが次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・不条理を喋るまいとする人々は沈黙させられるか、自発的に沈黙するしかなかったし、沈黙している人々は、めいめいの沈黙の座の上に静止していた。かつては、そのような思想のある静止状態が「東洋風」とよばれた時代もあった。だが、一九四〇年代に、そのよう・・・ 宮本百合子 「私の信条」
・・・彼女の顔には絶えまなく情熱が流れている、顔の外郭は静止しているけれども表情は刻々として変わって行く。しかもその刻々の表情が明瞭な完全な彫刻的表情なのである。言いかえれば彫刻の連続である。 たとえば在来は、苦痛の時には激しい悲鳴をあげてい・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・柳の芽が出始めて以来、三、四個月の間絶えず次から次へと動いていた東山の緑色が、ここで一時静止する。それはちょうど祇園祭りのころで、昔は京都の市民が祭りの一週間とその前後とで半月以上にわたって経済的活動を停止した時期である。 しかしこの静・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・一瞬間深い沈黙と静止が起こる。突如として鋭い金属の響きが堂内を貫ぬき通るように響く。美しい高い女高音に近い声が、その響きにからみついて緩やかな独唱を始める。やがてそれを追いかけるように低い大きい合唱が始まる。屈折の少ない、しかし濃淡の細やか・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・はただ人形使いの運動においてのみ形成される形なのであって、静止し凝固した形象なのではない。従って彫刻とは最も縁遠いものである。 たぶんこの事を指摘するためであったろうと思われるが、桐竹紋十郎氏は「狐」を持ち出して、それが使い方一つで犬に・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
・・・しからば彫刻が本来静止するものであるに対して、面は本来動くものである。面がその優秀さを真に発揮するのは動く地位に置かれた時でなくてはならない。 伎楽面が喜び怒り等の表情をいかに鋭く類型化しているか、あるいは一定の性格、人物の型などをいか・・・ 和辻哲郎 「面とペルソナ」
出典:青空文庫