・・・ それで私は有り合せの手近な材料から知り得られるだけの事をここに書き並べて、この学者の面影を朧気にでも紹介してみたいと思うのである。主な材料はモスコフスキーの著書に拠る外はなかった。要するに素人画家のスケッチのようなものだと思って読んで・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・豪華な昔しの面影を止めた古いこの土地の伝統的な声曲をも聞いた。ちょっと見には美しい女たちの服装などにも目をつけた。 この海岸も、煤煙の都が必然展けてゆかなければならぬ郊外の住宅地もしくは別荘地の一つであった。北方の大阪から神戸兵庫を経て・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 江戸のむかし、吉原の曲輪がその全盛の面影を留めたのは山東京伝の著作と浮世絵とであった。明治時代の吉原とその附近の町との情景は、一葉女史の『たけくらべ』、広津柳浪の『今戸心中』、泉鏡花の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・狂いを経に怒りを緯に、霰ふる木枯の夜を織り明せば、荒野の中に白き髯飛ぶリアの面影が出る。恥ずかしき紅と恨めしき鉄色をより合せては、逢うて絶えたる人の心を読むべく、温和しき黄と思い上がれる紫を交る交るに畳めば、魔に誘われし乙女の、我は顔に高ぶ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 余も我子を亡くした時に深き悲哀の念に堪えなかった、特にこの悲が年と共に消えゆくかと思えば、いかにもあさましく、せめて後の思出にもと、死にし子の面影を書き残した、しかして直にこれを東圃君に送って一言を求めた。当時真に余の心を知ってくれる・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・その時代の俤がよくわかる。ゴーリキイが書いている思い出の中に、ロシアに博覧会があったとき袁世凱が来て、いかにも支那大官らしい歩きつきで場内を見物してまわったときの情景がいきいきと描かれている。その時袁世凱がしきりにそこに陳列されていた一つの・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・三人は日ごとに顔を見合っていて気が附かぬが、困窮と病痾と羇旅との三つの苦艱を嘗め尽して、どれもどれも江戸を立った日の俤はなくなっているのである。 文吉がこの話をした翌日の朝であった。相宿のものがそれぞれ稼に出た跡で、宇平は九郎右衛門の前・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・不思議さ、忍藻の眼の中には三郎の俤が第一にあらわれて次に父親の姿があらわれて来る。青ざめた姿があらわれて来る。血、血に染みた姿があらわれて来る。垣根に吹き込む山おろし、それも三郎たちの声に聞える。ボーン悩と鳴る遠寺の鐘、それも無常の兆かと思・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 学帽を脱いだ栖方はまだ少年の面影をもっていた。街街の一隅を馳け廻っている、いくら悪戯をしても叱れない墨を顔につけた腕白な少年がいるものだが、栖方はそんな少年の姿をしている。郊外電車の改札口で、乗客をほったらかし、鋏をかちかち鳴らしなが・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そして私の頭には百姓とともに枯れ草を刈るトルストイの面影と、地獄の扉を見おろして坐すべきあの「考える人」の姿とが、相並んで浮かび出た。私は石の上に腰をおろして、左の肱を右の膝に突いて、顎を手の甲にのせて、――そして考えに沈んだ。残った舟はも・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫