・・・その間に時は用捨なく移って、やがて夕暮の色と共に、棗の実を食み落す鴉の声が、寂しく空に響くようになった。喜三郎は気を揉んで、甚太夫の側へ寄ると、「一そ恩地の屋敷の外へ参って居りましょうか。」と囁いた。が、甚太夫は頭を振って、許す気色も見せな・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・俗に打てば響くと云うのは、恐らくあんな応対の仕振りの事を指すのでしょう。『奥さん、あなたのような方は実際日本より、仏蘭西にでも御生れになればよかったのです。』――とうとう私は真面目な顔をして、こんな事を云う気にさえなりました。すると三浦も盃・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・鉄砧にあたる鉄槌の音が高く響くと疲れ果てた彼れの馬さえが耳を立てなおした。彼れはこの店先きに自分の馬を引張って来る時の事を思った。妻は吸い取られるように暖かそうな火の色に見惚れていた。二人は妙にわくわくした心持ちになった。 蹄鉄屋の先き・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・もし第一の種類に属する芸術家がそれを主張するようなことを仮想したら、あるいはそれは実感として私の頭に響くかもしれない。しかしながら広津氏の筆によって教えられることになると、私にはお座なりの概念論としてより響かなくなる。なぜならば、それは主張・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・ あッという声がして、女中が襖をと思うに似ず、寂莫として、ただ夫人のものいうと響くのが、ぶるぶると耳について、一筋ずつ髪の毛を伝うて動いて、人事不省ならんとする、瞬間に異ならず。 同時に真直に立った足許に、なめし皮の樺色の靴、宿を欺・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 紅の綱で曳く、玉の轆轤が、黄金の井の底に響く音。「ああ、橋板が、きしむんだ。削ったら、名器の琴になろうもしれぬ」 そこで、欄干を掻い擦った、この楽器に別れて、散策の畦を行く。 と蘆の中に池……というが、やがて十・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・満蔵が正直あふれた無言の謝罪には、母もその上しかりようないが、なお母は政さんにもそれと響くよう満蔵に強く念を押す。「ねい満蔵、ちょっとでもそんなうわさを立てられると、おとよさんのため、また省作のため、本当に困ったことになるからね。忘れて・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日ですねイ」 顔から頸から汗を拭いた跡のつやつやしさ、今更に民子の横顔を見た。「そうですねイ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・作が読者を煙に巻いて迷眩酔倒せしめたので、私の如きも読まない前に美妙や学海翁から散々褒めちぎって聴かされていたためかして、読んだ時は面白さに浮れて夢中となったが、その面白味は手品を見るような感興で胸に響くものはなかった。が、『風流仏』を読ん・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・たちまち、カッポ、カッポという地に響く音が聞こえました。「なんだろう。」と、たんぽぽの花はいいました。「なにか、怖ろしいものが、こちらへやってくるようだ。」と、こちょうはいいました。「どうかこちょうさん、私のそばにいてください。・・・ 小川未明 「いろいろな花」
出典:青空文庫