・・・フランシスが狂気になったという噂さも、父から勘当を受けて乞食の群に加わったという風聞も、クララの乙女心を不思議に強く打って響いた。フランシスの事になるとシッフィ家の人々は父から下女の末に至るまで、いい笑い草にした。クララはそういう雑言を耳に・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・私は、それらを風聞に依って知った。早くから、故郷の人たちとは、すべて音信不通になっていたのである。相続く故郷の不幸が、寝そべっている私の上半身を、少しずつ起してくれた。私は、故郷の家の大きさに、はにかんでいたのだ。金持の子というハンデキャッ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・けれども、不愉快なことには、彼女は、その試みに成功したという風聞がある。もう、ここに到っては、なにがなんだかわからない。女性を、あわれと思うより致しかたがない。 なんにでもなれるのである。北方の燈台守の細君が、燈台に打ち当って死ぬ鴎の羽・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・いつか新聞の演芸風聞録に、ある「頭の悪い」というので通っている名優の頭の悪い証拠として次のようなことを書いてあった。ある酷暑の日にその役者が「今日はだいぶ暑いと見える、観客席で扇の動き方が劇しいようだ」と云ったというのである。これはしかしそ・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 続きものの小説が肝心のところで中絶したために不平であった人もあろうし、毎朝の仕事のようにしてよんでいた演芸風聞録が読めないのでなんだか顔でも洗いそこなったような気持ちのする閑人もあったろう。 こういう善良な罪のない不満に対しては同・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・ 鳥さしは維新以前には雀を捕えて、幕府の飼養する鷹の脚を暖めさせるために、之を鷹匠の許へ持ち行くことを家の業となしていたのであるが、いつからともなく民間の風聞を探索して歩く「隠密」であるとの噂が専らとなったので、江戸の町人は鳥さしの姿を・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・とにかくそれまでの間に、森先生に御迷惑をかけるような失態を演じ出さないようにと思ってわたくしは毎週一、二回仏蘭西人某氏の家へ往って新着の新聞を読み、つとめて新しい風聞に接するようにしていた。三年の歳月は早くも過ぎ、いつか五年六年目となった。・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ぼんやりと、耳を掠める風聞。――然し、兎も角、自分達の口腹の慾は満たされて行くのだし……必要なら、誰かがするだろう。――眼を逸し、物懶に居隅に踞っていようとするのである。 幾百年の過去から、恐ろしい伝統、宿命を脱し切れずにいる、所謂為政・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
・・・或る部分はまるっきり間違った反動的風聞を基礎にして書かれた頼りないものだ。 ところで、これらの欠点が、選をした編輯局では分っていないのだろうか? いや、いや。ハッキリ知っている。 五百余篇も集まった応募文から、何故そんな判りきった誤・・・ 宮本百合子 「反動ジャーナリズムのチェーン・ストア」
・・・五つか六つの時、孫の薬とりに行った老婆が、電信柱に結びつけられ兵隊に剣付鉄砲で刺殺されたと云う、日比谷の焼打ちの時か何かの風聞を小耳に挟んで以来、戒厳令と云うことは、私に何とも云えない暗澹と惨虐さとを暗示するのだ。私は、一時に四方の薄暗さと・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫