・・・ を繰返し続けたが、だんだんその叫び声が自分ながら霜夜に啼く餓えた野狐の声のような気がされてきて、私はひどく悲しくなってきて、私はそのまま地べたに身体を投げだして声の限り泣きたいと思った。雨戸を蹶飛ばして老師の前に躍りだしてやるか――がその・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐んでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 君なんかは主義で馬鈴薯を喰ったのだ、嗜きで喰ったのじゃアない、だから牛肉に餓えたのだ、僕なんかは嗜きで牛肉を喰うのだ、だから最初から、餓えぬ代り今だってがつがつしない、……」「一向要領を得ない!」と上村が叫けんだ。近藤は直に何ごとをか・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 飢えと焦り 青年はあまり恋に飢え、恋の理想が強いとこうした間違いをする。相手をよく評価せずに偶像崇拝に陥る。相手の分不相応な大きな注文を盛りあげて、自分でひとり幻滅する。相手の異性をよく見わけることは何より肝要・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・倉皇として奔命し、迫害の中に、飢えと孤独を忍び、しかも真理のとげ難き嘆きと、共存同悲の愍みの愛のために哭きつつ一生を生きるのである。「日蓮は涙流さぬ日はなし」と彼はいった。 日蓮は日本の高僧中最も日本的性格を持ったそれである。彼において・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇していた。西伯利亜へ来てから何年になるだろう。まだ二年ばかりだ。しかし、もう十年も家を離れ、内地を離れているような気がした。海上生活者が港にあこがれ、陸を恋しがるように、彼等は、内地にあこがれ、家・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ プロレタリア文学運動は、ゼイタクな菓子を食う少数階級でなく、一切のパンにも事欠いて飢え、かつ、闘争している労働者農民大衆の中にシッカリとした基礎を置き、しかも国境にも、海にも山にも妨げられず、国際的に結びつき、発展して行く。――そのハ・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・ すると、向うの方で、大ぜいの狼と大ぜいの熊とが食べものに飢えて大げんかをしていました。みんなが牙をむき爪を立ててかみ合いかき合いしているので、ウイリイたちはそこをとおることができませんでした。 ウイリイはそれを見て車から百樽の肉を・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・鉄砲で打たれたり、波に呑まれたり、飢えたり、病んだり、巣のあたたまるひまもない悲しさ。あなた。沖の鴎に潮どき聞けば、という唄がありますねえ。わたくし、いつかあなたに有名病についてお話いたしましたけど、なに、人を殺したり飛行機に乗ったりするよ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫