・・・ただ耳を澄ますと、はるか遠くで馬鈴薯をこなしているらしい水車の音が単調に聞こえてくるばかりだった。 父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来・・・ 有島武郎 「親子」
・・・麦類には黒穂の、馬鈴薯にはべと病の徴候が見えた。虻と蚋とは自然の斥候のようにもやもやと飛び廻った。濡れたままに積重ねておいた汚れ物をかけわたした小屋の中からは、あらん限りの農夫の家族が武具を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ まず溝を穿ちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野の植物を駆逐し、これに代うるに馬鈴薯ならびに牧草をもってするのであります。このことはさほどの困難ではありませんでした。しかし難中の難事は荒地に樹を植ゆることでありました、このことについてダルガ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ことによると馬鈴薯も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」「牛肉が可いねエ!」と松木は又た眠むそうな声で真面目に言った。「然しビフテキに馬鈴薯は附属物だよ」と頬髭の紳士が得意らしく言った。「そうですとも! 理想・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・そこは、空気が淀んで床下の穴倉から、湿気と、貯えられた葱や馬鈴薯の匂いが板蓋の隙間からすうっと伝い上って来た。彼は、肩から銃をおろし、剣を取り、羊皮の帽子も、袖に星のついた上衣も乗馬靴もすっかりぬぎ捨ててしまった。ユーブカをつけた女は、次の・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ある日、音吉が馬鈴薯の種を籠に入れて持って来て見ると、漸く高瀬は畠の地ならしを済ましたところだった。彼の妻――お島はまだ新婚して間もない髪を手拭で包み、紅い色の腰巻などを見せ、土掘りの手伝いには似合わない都会風な風俗で、土のついた雑草の根だ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・二三寸延びた麦の間の馬鈴薯を掘っていたのである。「まあ、よう来てくれなんしたいの」と言ってみんなで喜ぶ。爺さんは顔じゅうを皺にして、「わしらはあんたが往んなんしたあと、いつまでもあんたの事ばかり話していたんぞ」とにこにこする。「・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 親兄弟みんなたばになって、七ツのおれをいじめている、とひがんで了って、その頃から、家族の客間の会議をきらって、もっぱら台所の石の炉縁に親しみ、冬は、馬鈴薯を炉の灰に埋めて焼いて、四、五の作男と一緒にたべた。一日わが孤立の姿、黙視し兼ねてか・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・たとえばマッキンレーが始めて大統領に選ばれたときに馬鈴薯の値段が暴騰したので、ウィスコンシンの農夫らはそれをこの選挙の結果に帰した。しかし実は産地の旱魃のためであった。近ごろの新聞には、亭主が豆腐を一人で食ってしまって自分に食わせないという・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・玉ねぎや馬鈴薯に交じって椰子の実やじゃぼん、それから獣肉も干し魚もある。八百屋がバイオリンを鳴らしている。菓汁の飲料を売る水屋の小僧もあき罐をたたいて踊りながら客を呼ぶ。 船へ帰るとやっぱり宅へ帰ったような気がする。夕飯には小羊の乗った・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫