・・・その日私は学校に居りますと、突然旧友の一人が訪ねて参りましたので、幸い午後からは授業の時間もございませんから、一しょに学校を出て、駿河台下のあるカッフェへ飯を食いに参りました。駿河台下には、御承知の通りあの四つ辻の近くに、大時計が一つござい・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・なんでもなん千年というむかし、甲斐と駿河の境さ、大山荒れがはじまったが、ごんごんごうごう暗やみの奥で鳴りだしたそうでござります。そうすると、そこら一面石の嵐でござりまして、大石小石の雨がやめどなく降ったそうでござります。五十日のあいだという・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士の名ぐらいは義経・弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河と共に諳んじていた。富山の奥で五人の大の男を手玉に取った九歳の親兵衛の名は桃太郎や金太郎よりも熟していた。したがってホントウに通して読んだのは十二、三・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・女房は銭占屋の使で町まで駿河半紙を買いに行ったし、私も話対手はなし、といってすることもないから、浜へでも行ってみようと思った。すると、私のその気勢に、今までじっと睡ったように身動きもしなかった銭占屋が、「君、どっかへ出るかね。」と頭を挙・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・相模、駿河までは行ったが、それから先は、私は未だ一度も行って見たことが無い。もっと、としとってから行ってみたいと思っている。心に遊びの余裕が出来てから、ゆっくり関西を廻ってみたいと思っている。いまはまだ、地獄の方角ばかりが、気にかかる。新潟・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・しかしその時はそれきりで、何を考えたという事さえ忘れてしまっていたが、その後二三日たったある日の夕方、駿河台下まで散歩していた時に、とある屋根の上に明滅している仁丹の広告を見るとまた突然この同じ文字が頭の中に照らし出された。あの広告のイルミ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・上には青空か白雲、時には飛行機が通る。駿河の富士や房総の山も見える日があろう。ついでに屋上さらに三四百尺の鉄塔を建てて頂上に展望台を作るといいと思う。その側面を広告塔にすれば気球広告よりも有効で、その料金で建設費はまもなく消却されるであろう・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・「江戸百景」を思い出す。あの絵で見ると白木屋の隣に東橋庵という蕎麦屋がある。今は白木屋の階上で蕎麦が食われる。こんなつまらない事を考えたりする。「駿河町」の絵を見ると、正面に大きな富士がそびえて、前景の両側には丸に井桁に三の字を染め出した越・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・永正十一年駿河国興津に生れ、今川治部大輔殿に仕え、同国清見が関に住居いたし候。永禄三年五月二十日今川殿陣亡遊ばされ候時、景通も御供いたし候。年齢四十一歳に候。法名は千山宗及居士と申候。 父才八は永禄元年出生候て、三歳にして怙を失い、母の・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫