・・・この拗者の江戸の通人が耳の垢取り道具を揃えて元禄の昔に立返って耳の垢取り商売を初めようというと、同じ拗者仲間の高橋由一が負けぬ気になって何処からか志道軒の木陰を手に入れて来て辻談義を目論見、椿岳の浅草絵と鼎立して大に江戸気分を吐こうと計画し・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ ちょうど、そのとき、小田と高橋が、釣りざおとバケツを下げて達ちゃん兄弟を誘いにきました。日曜日に、川へ寒ぶなを釣りにゆく、約束がしてあったからです。「どうしよう? ペスをさがしにゆくのをよして、釣りにゆこうか。」と、正ちゃんは、兄・・・ 小川未明 「ペスをさがしに」
・・・あんまりひどすぎる。高橋お伝ならまだしも……」と真面目に忠告してくれる友人もあった。 しかし、私は阿部定の公判記録の写しをひそかに探していた。物好きな弁護士が写して相当流布していると聴いたからである。が、幸か不幸か公判記録の持主にめぐり・・・ 織田作之助 「世相」
・・・邦文には吉田博士の『倫理学史』、三浦藤作の『輓近倫理学説研究』等があるが、現代の倫理学、特に現象学派の倫理学の評述にくわしいものとしては高橋敬視の『西洋倫理学史』などがいいであろう。しかしある人の倫理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 伊能忠敬は、五十歳から当時三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ、七十歳をこえて、日本全国の測量地図を完成した。趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋左(衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・勇敢な高橋事務員は、その中へ決然一人でとびこんで、ようやく、向うの岸にひなんしていた船にたどりつき、船頭たちに、患者をはこんでくれるようにと、こんこんとたのみましたが、船頭はいやがって、がんとしておうじてくれません。すると幸い、だれも人のい・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・『大阪サロン』編輯部、高橋安二郎。なお、挿絵のサンプルとして、三画伯の花鳥図同封、御撰定のうえ、大体の図柄御指示下されば、幸甚に存上候。」 月日。「前略。ゆるし玉え。新聞きり抜き、お送りいたします。なぜ、こんなものを、切り抜いて・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 宿の主人は禿頭の工合から頬髯まで高橋是清翁によく似ている。食後に話しに来て色々面白いことを聞かされた。残雪がまだ消えやらず化粧柳の若芽が真紅に萌え立つ頃には宿の庭先に兎が子供を連れて遊びに来たり、山鳥が餌をあさり歩くことも珍しくないそ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・川村にしても、高橋にしても、斎藤にしても、小野にしても、其他十数人の、彼を支持する有力な子分は、皆組合の手に奪われてしまったのだ。 それを、いま自分が、争議中の一切の恨を水に流して、自ら貰い下げに行くことは、どれだけ彼らに大きな影響を与・・・ 徳永直 「眼」
出典:青空文庫