・・・喜三郎は寺の門を出ながら、加納親子や左近の霊が彼等に冥助を与えているような、気強さを感ぜずにはいられなかった。 甚太夫は喜三郎の話を聞きながら、天運の到来を祝すと共に、今まで兵衛の寺詣でに気づかなかった事を口惜しく思った。「もう八日経て・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・「神、その独子、聖霊及び基督の御弟子の頭なる法皇の御許によって、末世の罪人、神の召によって人を喜ばす軽業師なるフランシスが善良なアッシジの市民に告げる。フランシスは今日教友のレオに堂母で説教するようにといった。レオは神を語るだけの弁才を・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ それでも褐色を帯びた、ブロンドな髪の、残酷な小娘の顔には深い美と未来の霊とがある。 慈悲深い貴夫人の顔は、それとは違って、風雨に晒された跡のように荒れていて、色が蒼い。 貴夫人はもう誰にも光と温とを授けることは出来ないだろう。・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・に描かれたる肉霊合致の全我的活動なるものは、その論理と表象の方法が新しくなったほかに、かつて本能満足主義という名の下に考量されたものとどれだけ違っているだろうか。 魚住氏はこの一見収攬しがたき混乱の状態に対して、きわめて都合のよい解釈を・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・神なけれども霊あって来り憑る。山深く、里幽に、堂宇廃頽して、いよいよ活けるがごとくしかるなり。明治四十四年六月 泉鏡花 「一景話題」
・・・憎い友人どもの首……鬼女や滝夜叉の首……こんな物が順ぐりに、あお向けに寝て覚めている室の周囲の鴨居のあたりをめぐって、吐く息さえも苦しくまた頼もしかった時だ――「鬼よ、羅刹よ、夜叉の首よ、われを夜伽の霊の影か……闇の盃盤闇を盛りて、われは底・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・勢い霊玉の奇特や伏姫神の神助がやたらと出るので、親兵衛武勇談はややもすれば伏姫霊験記になる。他の犬士の物語と比べて人間味が著しく稀薄であるが、殊に京都の物語は巽風・於菟子の一節を除いては極めて空虚な少年武勇伝である。 本来『八犬伝』は百・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・とパウロは曰うた(哥林多、清き人は其の時に神を見ることが出来るのである、多分万物の造主なる霊の神を見るのではあるまい、其の栄の光輝その質の真像なる人なるキリストイエスを見るのであろう、而して彼を見る者は聖父を見るのであれば、心の清き者は天に・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・牧師は誠実に女房の霊を救おうと思って来たのか、物珍らしく思って来て見たのか、それは分からぬが、兎に角一度来たのである。この手紙は牧師の二度と来ぬように、謂わば牧師を避けるために書く積りで書き始めたものらしい。煩悶して、こんな手紙を書き掛けた・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・しかも、人が苦しみを経験し、若しくは苦痛を経験し、若しくは生活上の奮闘を余儀なくされている場合、社会の同情、博愛、慈善事業、宗教家等に依って救うということは何時まで経ってもその人間に本当の霊を見せずにしまうものである。極端なる苦痛は最後に確・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫